違いを暴くより共通を求めよ 塚本三郎
「政争は水際まで」 と叫び続けたのは、西尾末広・民社党初代委員長である。
六十年安保と呼ばれる、改訂前の日米安全保障条約は「片務的」で、あたかも日本が、
米国の属国の如き条約であった。その内容を改訂し、同盟国らしく日本と米国が対等に近
い条約に改訂しようというのが六十年安保であった.内容は完全ではないが、一歩も二歩
も前進せしめた岸内閣に対して、暴徒の如き反発暴動が行なわれていたから、それを戒め
た言葉であった。
当時、国会に向って、全学連を中心とする若者たちの、安保反対の叫びは、連日、五万、
十万と津波の如く押し寄せ、遂に国会の表庭に乱入し、警備の警笹車を倒し、流れ出たガ
ソリンに火をつけて、国会周辺は、夜ともなれば赤々と火の海の如く化した。
社会党幹部が、その先頭に立っている姿に、私は呆然と涙を流し眺めていた。そして遂
に、四十名の社会党国会議員が脱党し、民主社会党、後の民社党を結党した。
あれからもう四十七年が過ぎた。
内政に関して、与野党が烈しく争うのは当たり前である.だが、対外問題、特に安全保
障に対して、国内の与論が対立していては、外国との論争にならない.外交は、常に国力、
特に軍事力を背景にして行なわれる。外交は血を見ない戦争と評されるゆえんである・
現在は、日米同盟と呼ぶ軍事力の傘の下で、平和を享受しているのが日本の実状である0
その米国の、国力は衰えつつある。二〇〇一年のニューヨークの同時多発テロ以来、信
用力も低下し、加えてイラク戦争以来、その姿は顕著となり、対する中国やロシアが牙を
むきつつある。此朝鮮の脅威は、既に韓国をも包含する勢いとなっている。
極論を言えば、日本は反米の国々に取り囲まれており、それを遠巻きにして、米国及び
民主主義政治の諸国家が、日本の行方に対し、臨唾を呑みつつ眺めている。
頼りにすべき唯一の同盟国米国を非難しっつある日本の野党は、、米国に協力せんとする
政府に対して、集団的自衛権は、憲法違反だと声高に叫ぶ。
その姿は、例えて言えば、日本を守る自分の右腕を、野党が左手で切り捨てるのと同じ
ではないか。日本はやがて右腕を失ない、共産圏の仲間入りをお願いするつもりなのか・
「平和への希望と、戦争の危険との差は極く僅かにすぎない」そして、途方もない威力
で個喝してくる敵に対しては、同じ途方もないカを持った武器をもって、初めて軍縮交渉
ができる」と語ったのは、かつての西独首相シユミットの言葉である。
彼は社会主義インター(反共産主義の社会主義国際組織)の責任者であり、西独社民党
党首であった。そして日本の民社党、社会党の両党もそれに加盟した仲間であったはずだ。
外交を政争にするのは利敵行為
今国会の焦点は、インド洋に於いて、海上自衛隊が行なって来たテロ対策特別措置法に
代るもので、より平和的な措置法案によって、従来通りの活動を行なおうとすることを政
府が民主党に理解を求めている。
今を去る十七年前、湾岸戦争が連合国の勝利に終った時、クウエートが開放を支援して
くれた三十カ国への感謝広告を、アメリカの有力新聞に掲載した。その中に、日本の名は
なかった。日本は百三十億ドル、全体の約二〇%の大金を支払ったのに。
アメリカの議会は、その時、日本を 「張子の同盟国」と呼んだ。
日本は経済大国として、ペルシャ湾から、最大量の石油を輸入している国として、実質
的に、眼にみえる援助をして欲しいと、当時のアマコスト駐日米国大使は言明していた。
イラク軍のクウェート侵攻を追い出すのに、連合国は、戦車や重火器の莫大な量の、前
線への到着の為、輸送手段を手伝って欲しい、との切実な要望が、出されていても、後方
支援せさえ、当時の海部内閣は行なう気がなく、日の丸が湾岸地域で目撃される機会は一
度もなかった。インド洋は、日本にとって今日なお、日本の生命線となっている。
残念なことに、最近の小沢一郎民主党代表の発言は、常軌を逸しているやにみえる。
失礼な言い分であるが、一体、民主党の一部の諸君は、世界情勢を学んでいるのか。米
国を中心として、テロ撲滅は世界各国の共通の念願ではないのか。
米国を中心とする民主主義国家と、共産圏各国とのテロ対策は、同床異夢である。
中国も、ロシアも、北朝鮮も、本心は反米である。ただ自国の反政府勢力を、テロ撲滅
と称して、独裁権力の維持に利用しているだけのことである.我々が重視しなければなら
ないのは、米国内の最近の与論の分裂と、イラクでの足踏み状態で、国際信用を失った、
その分だけ、警戒すべき相手の中国や、ロシアが意気軒昂になりつつあることだ.
日本は、前述の如く米国とは同盟国であり、共同の運命の傘の下に在る。その日本が、
表面はともかく、結果として、冷笑している共産国と同様の態度をとりつつあっては、日
本の運命はどうなるのか。世界は、今や日本の出方を注視している.
インド洋での警戒は、日本が出る、出ないにかかわらず粛々と行なわざるを得ない。
だがここに来て、海上自衛隊の、厳正な行動を軽視して来た世界各国は、日本が果して
いる役割の重大性に漸く気付きつつあり、感謝決議までしてくれた。
誠に残念なこ上は、野党民主党が、本来の政党としての任務を失っているやにみえる。
インド洋での日本の役割、特に国益よりも、この案件を政権奪取の道具とし、条件と化
していることである。外交と安全保障を政争の具と化すことは、利敵行為に通ずる。
民主党議員の中には、小沢氏の発言に不信と不満を抱いている、多くの良識議員が居る。
なのに堂々と、正論をもって、歪められた党内の印象を是正する意見が外に出て来ない。
小沢氏の指導力が、参議院選勝利によって、党内での発言力が絶対化されつつある。そ
れに脅えて、異論を出し得ない、とそれらの議員は云う.現在の小選挙区制と、政党助成
金の制度の下では、党執行部の発言権は、選挙公認権と、資金の支配カを有するが為に、
末端の議員にとって、発言の機会と舞台を削られることは止むを得ないかもしれない。
各政党は国益の為の共通点(憲法改正)を
この際、自民党と民主党の相当部分が、相共通している部分で協力を求めるべきではな
いか。その同一着地点が、「新憲法創設」であると思う。
自民党内は勿論、民主党内にも、憲法改正、或いは新憲法創設の必要を認める良識者は、
国会議員の中の相当数を占めている。
自民、公明の連立政権が、参議院選挙の大敗によって、その地位は揺るぎつつある。そ
して、一度は民主党に政権を任せてみたら、と云う国民の良識の声もあちこちから聞こえ
てくる。さりとて、政権を左右する衆議院は、自・公両党の手中に在る。まして、外交を
政争の具に悪用して、政権奪取を狙う民主党の行動は邪道である。
ならば、この際は、国の根幹である、「憲法改正を課題」に一致点を求めて、両党が国家
百年の計を論じて、国民の期待に努めては如何か。
相手との相違と対立を暴いているだけでは、両党間の距離を拡げるのみで、政権を求め
る民主党の目的からは、かえって逆に益々遠ざかる。両党が共通点を求めて、相協力すれ
ば、意外にも両党の近親感が高まり、それが双方の本心であることに気付くと思う。
それよりも何よりも、国家と国民の為に一歩一歩の努力を重ねることによって、国民の
多くは、国会こそ愛国心の代表者だと受け止めることであろう。そして、それが本来の政
治家の任務であることを理解するはずだ。
今のままの国会で、最も悲しむのは、さきの参議院選挙で民主党を選んだ有権者ではな
いか。そして、逆に心の中で拍手するのは、日米を離間せしめんとする共産圏や、独裁の
非民主国家ではないか。
与党議員の多くは、こと米国に対しては、今日まで正論さえ述べることを遠慮して来た
のに、小沢一郎氏が、蛮勇を奮って米国の仕業に逆襲を試み、「米国に一矢を報いつつある」
点では、一部の国民は、小気味良く拍手を送っている。
小沢民主党代表等の、インド洋に於ける、テロ対策特別措置法についての発言は、米国
の言いなりになるな、日本は、いつまで敗戦国扱いされているのだ、と言わぬばかりに、
給油の量の多寡まで取り上げる発言に、国民の一部では、正論だ、税金のムダ使いだと憤
る.しかし、それは結果として自分の右腕を切ることに繋がることを知ってほしい。
本末転倒の議論
小沢代表の発言は、「敵と味方の区別をすべきだ」と言いたい。同盟国に対する注意と警
告には、限度が在る.それを越えれば警告ではなく、敵対者となる・
インド洋に展開するテロヘの警戒についても、日本の自衛隊は、普通の国と同じこと(武
力行使)が出来ない。その原因は、憲法の制約に在る。国家の基本法である憲法を楯にと
って、自国の安全を縛るならば、その 「憲法の縛り」を問題にすべきである・
その基本の誤りを論ずることをしない国会での与野党の論争は、本末転倒の論争となる。
日本の憲法が制定されて既に六十年を経過している。とりわけ、第九条が現存している
こと自体が奇異である.それは、独立国の存在を危くする0
それを与党も、野党も、充分に承知しておりながら、世界の常識を勝手に引用し、現行
憲法の拡大解釈によって、その場、その場を糊塗し続けている。
憲法が在って国家無しの愚は、もういい加減にして欲しい・憲法に従うことによって、
国家の発展と独立が害されていることは、政治家不在のそしりを免れない。
国会が、衆議院と参議院の、与野党のネジレ現象が深刻の度を加えつつある。
さりとて、一挙に政権の交代は不可能とみる.また、自民、民主の連立政権へと進むこ
とが、理想と期待する有識者も少なくないが、双方の党内の事情がそれを許さない。
国会の直面する最大の問題は、政党間の理念と政策が行詰まり、迷いとなっている。
各党所属の議員は、国家の原点である、日本国憲法の在るべき姿、とりわけ安全保障に
っいて、篤一歩から論議すべきではないか.自民、民主、公明の各党は現行憲法の不具合
を承知だから、既にそれぞれに改憲、創意、加憲の論を部分的に公表しでいる。
三年先と言わず、「今日、直ちに」各党の示す、憲法案を論じ合うべきではないか。
現在、国際的問題として、国連をも揺るがしかねない、インド洋での連合各国への給油
は、憲法間靂そのものとなった。
憲法は国家在っての基本法であるはずだ。
平成十九年十一月初旬