瀬戸際に立たされる日本              塚本三郎

福田首相の柔軟性は
 内外状勢多難の折、福田康夫氏が新首相に選出された。自民党各派閥領袖の支持を得て
の結果である。福田氏にとって、この様な多難の折に、自らが望んでの首相とあらば、余
程の決意と覚悟をもたれたと思う。政界では、優れた血筋の下に生まれ育ち、余りにも順
調に登られた地位は、安倍前首相と殆んど違わない.欲を言えば、もっと野生に富んだ言
動が出来ないかと願う。この期待は無理か。
 野次馬根性で福田氏の気持ちを言わして頂ければ、「万事おだやかに、皆さんのおっしゃ
る説は御もっとも、みんな正しい、その人達のご意見をまとめます。
 外交については、中国や韓国や北朝鮮やロシアや、何れの国にも言い分はあるでしょう、
それを出来る限り、受け容れますから、日本の主張もほどはどに聞いて下さい。万事おだ
やかに、拉致の解決の為には、私が責任を持ちます」。
 福田氏にはこんな手法と会話が見えてくる。
 「他人のいやがることはしない方が良いでしょ」と発言した福田氏の言動は、靖国神社
参拝についての応答である。福田氏の人柄からして、善意のカタマリとは思う。しかし、
政治の世界は、敵と闘うことが、時と場合によっては重大な使命となる。
 九月十六日、福田康夫氏が首相に決まると、中国の各紙はそろって「日中友好条約を締
結した(一九七八年)福田超夫を父に持つ人であり、アジア外交を重視している」と歓迎
の記事を並べた。
 小泉純一郎氏が首相の時代には、対米重視で、靖国神社参拝、国連常任理事国へ立候補
等々、日本の独自路線を進んだ。
 アジア唯一の強国を自負する、中国の強圧を意に介せず、嘘で固めた彼の国の悪宣伝を
悉く無視し、意に介せず進んだ小泉の行動は、安倍内閣も同様であった。
 中国は表面的にはともかく、内心日本の行動に恐れを抱いていた。高度成長を豪語し繁
栄を宣伝している中国ではあるが、その内状は全くお粗末で、人民の不平不満は、万を数
える人民の暴動の繰り返しである。それでも党官僚の汚職は一向に改められない。
 表面では強気であっても、内心、日本国内の対中感情の悪化に苦慮しており、来年の北
京オリンピックを控えているから、福田内閣の出現は大歓迎である。
 福田首相その人のみではない。手ごわい麻生氏を排して、福田を擁立した古賀派、山崎
派、森派等、媚中派と云われる代表が後ろ楯となっており、その面々が表舞台に出て来た
ことも、中国にとっては好結果となっている。

両刃の剣、小沢一郎
 安倍退陣の引き金は、参議院選での自民党の大敗北であった。その立役者、小沢一郎氏
が、政権への野心を高めることによって、日本の政界は反米へと傾斜しっつある。
 小沢氏は従来、反米の持主ではなかった。むしろ親米であり、自由と民主主義を心情と
して、田中角栄、金丸信に可愛がられた。
 機を見るに敏であり、その上、即決で決断力の小沢氏は、かつて、自民党を割って出て、
細川政権成立の立役者として、非自民の政権を打ち立てた。
 彼の力量が、更に発揮されたのは、参議院選挙の勝利と安倍政権の打倒だった。
 小沢氏率いる民主党が、参議院選挙で圧勝したことが、日本の政治を狂わせつつある。
 当面の政局が運悪く、インド洋への海上自衛隊のテロ対策特措法の成否に在った。
 小沢氏が、冷静に国際情勢を判断する余裕を持たず、自・公連立政権を倒して「天下を
取る」 と豪語した結果、小沢氏は新テロ特措法に反対せざるを得なかった.その理由とし
て、米軍のイラク侵略は「戦争への協力」だと、反自民の立場で非難を重ねた。
 そのことは、あからさまに、反米の方向となり、結果として危険な道を進みつつある。
 政界に於ける即断、即決は両刃の剣である。小沢氏の、自民党政権打倒と云う、政局の
為の発言が、心ならずも本人が反米路線へ踏み込んでしまった。
 事態打開の為に行なわれたのが有名な、福田、小沢両党首会談であった。結果は、民主
党の否決によって事なきを得た。
 良識ある人達は、衆議院と参議院の、与野党のネジレを解消する道は、民主党との連立
政権こそがべターと期待している。ことの道理はその通りでも、だが、と私は敢えて言う。
 小沢氏の政治行動は、良識人の則を超えている。即断即決だけではない。意に沿わなけ
れば、離党も辞さない小沢氏は、壊し屋とのアダナをもっている。そこへ、優柔不断の福
田氏と、即断実行型の小沢氏が組めば、日本国家の舵取りは、小沢氏にとって代えられる。
 そのことは、自民党政権ではなく、民主党政権へと路線が切り替えられる。
 民主党には良識派が居ないのではない。しかし、小沢氏の強引な指導力に抵抗する勢い
は、今の処見えない。積極的に小沢氏を押し上げているのが、かつての社会党である。
 常識的には理想とされる、自公プラス民主の連立政権とならば、勢いの赴くところ、中
国、北朝鮮、ロシア、そして韓国の左翼独裁政権と手を結ぶ「迷路に踏み込む」ことにな
りはしないか。福田と小沢の安易な協力は、日本の危機を思わせる。

悪夢の三国軍事同盟
 今を去る六十六年前、第二次近衛文麿内閣の組閣に際して、近衛首相は強力な外交姿勢
の松岡洋右を外務大臣に任命した。
 当時の政治状勢では、支那事変を泥沼化している後ろ楯は米国であるから、これに対し、
近衛は自ら米国へ赴き、和解への道を提唱しようと試みたが、成就しなかった。
 その時、逆にドイツが英仏との戦争中で、ドイツの優勢は、今にも英仏等の欧州連合が
降服する気運であると、日本は信じた。ドイツの対日宣伝の力が大きかったため。
 ドイツの勝利が決定的となれば、支那大陸の蒋政権へ、利権の為に裏で支えていた、米、
英等が手を引くと判断した。何の確証もなく松岡外相は、独・伊と三国軍事同盟に走った。
 松岡は、彼等アングロサクソンに対する戦争を意図したのではなく、支那大陸の泥沼か
ら足を抜く為の、支那に対する和解のつもりであったらしい。
 松岡の思惑は 「ドイツとイタリアとの関係を強化し、さらにソ連と協定を結べば、アメ
リカも手出しはできないという四国同盟をもって、世界秩序を牽制する」 と考えた。
 「いまや米国の対日感情は極端に悪化している。僅かの機嫌をとって回復するものにあ
らず。ただ我々の毅然たる態度のみが、戦争を避くるであろう」 昭和十五年九月十九日、
宮中に於ける御前会議での松岡外相の発言である。
 しかし、米英等は強気に終姑し、逆に対日禁輸によって石油、鉄屑等の資源の輸出を止
める挙に出た.そのことは日本産業のノドを締められる結果を招いた。
 近衛、松岡の踏み切った、三国軍事同盟の蹄結が、日本をして、戦争回避の思惑が逆に、
対米開戦への第一歩となってしまった。
  国家の秘密情報は、政治、軍事、経済において大きな力を持つ。盗聴技術が作戦の勝敗
 を決め、時には国家の運命をも左右するとまで言われる。特に、その情報に基づく判断こ
 そ、責任者となる人に依る。
  近衛や松岡の下に届いたドイツ優位の片寄った情報が、日本を危機に追い詰めた。
  現在の日本外交は、その当時の危険な要因とよく似ている。
  近衛文麿と福田康夫の、出生から来る地位と性格、万事おだやかに、そして優柔不断が
 極めてよく似ている、松岡洋右と小沢一郎もまた、性格及び発想、例えば即断即決、そし
 て世界情勢の分析が余りにも独断的で、四囲に耳を傾けない性格であることを危惧する。
  その上、日本を取り巻く国際政局もまた、米国を中心とする民主主義陣営に対立して、
 東アジア共同体を主唱する中国が、ロシア、北朝鮮、韓国を巻き込んで、「アジアは一つ」
 を合言葉に日本を包囲して来ている。
  東アジアならば、太平洋諸国連合(エイペツク)が在るではないか、今頃何の目的で、
 アメリカとオーストラリアの両民主主義大国を除外しての東アジア共同体なのか。中国が
 主唱する目的は余りにも明白である。
  中国などは、ヨーロッパ共同体を例にとるが、彼等は同じ民主主義政治体制の下に一致
 し、その上、北大西洋条約(ナトー)軍事機構の傘下となって、お互いに協力している。
  日本及びアセアン諸国は反共の民主主義国である。中国、北朝鮮、そしてロシアは容共
 の独裁政治である。これ等が、どうして一つになれるのか。内政不干渉の今日のままで良
 いではないか。中国等の主唱の目的が余りにも明白である。
  ここで述べなければならないことは、今日の日本は、
 中国を中心とする周辺の全体主義体制の諸国家と、米国を中心とする、民主主義国家の谷
 間に立たされている、従って両陣営がどう出るのか。
  二〇〇八年の北京オリンピック、二〇一〇年の上海万博までは、中国が牙をかくして日
 本のみならず、米国へも媚を売って事なきを保つであろう。問題はその後が危険である。
 それまでの三年間、日本に与えられた間に、日本は真の独立国粛とすることが出来るか。
  日本は国家としての「情報戦略」を、まず緊急整備すべきである。
  日本は戦後の隷従体制を脱却して、厳然とした国家の方針を確立することである。
  国際関係も、人間関係も、永遠の敵でもないし、永遠の味方でもない。何れを敵とし、
 何れを味方とするか、ではなく、「何が正しいのか、何が邪道なのか」を基準にした上で、
 国家の損得を計る必要がある。
  日本は今や強者に身を寄せる必要よりも、自身が強者となる道を厳然と進めるべきだ。
  正と邪を判別することも、周辺の脅威に屈しない為にも、国家が強者でなければ出来な
 い。日本にはその能力と資質が在ると自覚すべきだ。
  過去の善悪は別として、六十余年前、世界を相手として闘ったのが日本人である。そし
 て、今日の日本人も同じ日本人である。当時の蛮勇ではなく、正邪を弁別して進む、大和
 魂、或いは武士道まで捨てたと言われるのが残念だ。
  危地に追い詰められた時にこそ、人間として、また国家として、真価を発揮するのが日
 本人ではないか。それにはまず、国家としての大義を歪めて来た憲法を廃し、日本国家の
 為の新憲法を創設する処から姑めるべきだ。          平成十九年十二月上旬