二大政党となったが               塚本三郎

 民主政治の下で、与党と野党が、程よく政権を交代することが理想とされている。
 民主政治先輩のヨーロッパ及びアメリカでは、二大政党による政権交代が行なわれて久
しい。日本は戦後の大半を、保守政党、自由民主党が、政権の首座にあって政権交代の機
会は殆んどなかった。
 遅まきながら、自民党の長期に亘る一党支配は、政権交代がないから腐敗すると、自民
党の一部が分離して、政権交代を実現させたのが、小沢一郎氏中心の細川政権であった。
 二大政党による政権交代の制度が理想となるには、次の二点が確立されることである。
 まず第一に、外交と防衛という国家の基本については、与野党双方の相違を乗り越えて、
一致した方針を確立する必要がある。
 政治の基本は、国家の安全と国民生活の繁栄を維持することである。
 国家間の対立する現実は極めて厳しい。国それぞれに置かれた環境及び歴史があり、政
治体制が同じではない。従って、二大政党として国内での対立は当然であるが、こと安全
保障と外交については、与野党共に一致して、この責任を果すべきである。「政争は水際ま
で」と言われるゆえんである。
 多くの国の崩壊の歴史は、外敵よりも「内部の分裂」がその原因となっている。
 第二は、与野党共に、党内の政治理念と、政策の一致が不可欠である.
 自分の党内の相違を抱えたままでは、まともな政党と言うことが出来ない。最終的には、
一党としての方針を決定し、国民に宣伝して、支持を得ることが政党の基本である。

民主党は政権担当の理念を示せ
 さきの参議院選挙で、民主党は圧倒的な支持を得て、第一党とな打、自民党と対等の実
力と信用を自負するに至った。
 民主党は、二大政党となった以上、直近の国政選挙である参議院選挙で大勝を得たから、
国民の意思を確認する為、直ちに衆議院を解散し、総選挙を行なえと与党に迫っている。
 その主張には相当の理が在ることを認めよう。しかし、衆議.院と参議院とでは、根本的
な相違が憲法上示されているから、批判を加えたいが、今はそれを措こう。
 民主党の小沢氏は、衆議院選挙で自民党・公明党の連立政権を倒して政権奪取を宣言し
ている。国民の中にも、度重なる自民・公明両党の「ズルガシコイ」政局の運営に不満を
抱き、一度は政権交代をしてはしい、との気運は高まっている。
 問題は、民主党が政権の座に就いたならば、外交と防衛問題をどう対処するのか.当面
のインド洋におけるテロ対策を、どう処理するのか、具体的方針を示す必要がある。だが、
アメリカの「侵略戦争に加担」することになるから反対である、との趣旨がもれてくる。
 アメリカのゆきすぎと香りを、独立自存の立場から、同盟国の仲間として忠告する為の
発言と行動は良い。しかし、忠告も度を超せば敵対行動となる。またそれが、国民の注目
を集める為のゼスチャーであるとすれば危険極まりない。
 小沢氏が日本の外交と防衛を 「国連中心主義」 と言明し、すべて国連決定に基づいた政
策を執るとの発言は、国連の現実を無視した判断と言うべきである。
 国連を支えている拠出金は、米国に次いで日本が第二位となっている。それでも常任理
事国の地位を蹴られ、一般理事国でもない。まして国連から、敵性国という条文さえも消
されていない。その上、ロシアと中国が常任理事国として、拒否権を持っている。その一
国でも反対すれば何事も出来ない。かくの如き国連に頼って、安全保障と外交政策を、党
の基本理念としている小沢氏の発言は、余りにも実体を軽視している。
 そのような無責任な言動は、党内議決が出来ていないと疑ってみる。また議論をすれば
分裂する危機を抱えている、とみるのは失礼であろうか。政党としての基本さえ明示でき
ず、唯々、反自民のままでは、政権交代の政党としては適格性を欠く。
 まずは自民党を倒せ「基本理念はそれから」では、不安この上もない。

小選挙区の結果は
 小沢氏が細川政権で主導した、小選挙制への大転換は、欧米の例に倣い、二大政党にす
るには、小選挙制が必要との論が中心であった。多くのメディアも同調して成立せしめた。
小選挙区となれば、同一政党では、一選挙区一人しか候補者を擁立出来ない。
 大政党の候補者でも、一人しか公認擁立が不可能となれば、情熱に燃えた政治志望者は、
各々別の党を造って立候補するか、又は他の選挙区を選ばざるを得ない。二大政党をめざ
して造られた小選挙区制は、逆に、各政党の分裂による多党政治となりつつある。
 更に事態を変質せしめているのは、自らの政治理念や政策は二の次として、当選に有利
な政党を選んで入党している例もある。地域によっては、全く理念の相反する党にさえ鞍
替えする議員と候補も少数ながら居る。
 二大政党をめざした、小選挙区制の産みの親の一人と自負した小沢氏の如きは、四つも
五つも政党を造り、また壊して渡り歩くと云う、言行不一致を平然と行なって恥じない。
そのような小沢氏に振り回されている政局が悲しい。政党とは何か、政治家は何が目的な
のか、国家と国民の眼を盗んで恥じない、との怨嗟の声は永田町に向かって渦巻いている。

今後の政局はどうなる
 小沢氏の手法には、民主党議員の中でも首をかしげる人が少なくない。
 昨日まで、自民党を倒して、政権を奪い取ると宣言しておき鬼がら、一日経てば自民党
との連立政権の協議に応じる、とみられる変わり身の速さ。
 そして自身の党内にも充分説明をせず、代表の行動に異論を許さない態度。かくして意
に沿わねば辞意の表明である。まるで駄々っ子ではないか。それでも小沢氏を慰めて代表
の座に戻らせた民主党。
 与党は重要法案成立のためには衆院絶対優位の立場で、野党の反対を押し切らざるを得
ない。憲法第五十九条を採って、衆院三分の二で成立せしめることになろう。
 今迄は、与党内で、公明党がこの条文 (憲法第五十九条) 活用の足伽となっていた。だ
が、今回の民主党との連立騒動から、自民、民主の連立が実現すれば、自分の立場は弱く
なる。結果として、自民に寄り添い、五十九条の活用を逆にすすめる立場になっている。
 民主党の次の一手は、額賀財務相及び久間元防衛相等の、武器調達にかかわる疑惑問題
を足場に、最終的には、福田首相の問責決議によって、衆議院解散に追い詰めたいようだ。
そして、各種法律案をすべて通せんぼを重ねて、政権運営を行詰まらせる作戦とみる。
 福田内閣は、ひたすら低姿勢を重ねて、参議院を悪用する野党の横暴を、国民の前に露
出する状態を待ちわびているとみる。衆院から送付された各法案は、参議院で否決、また
は六十日を経れば否決とみなして、衆院で三分の二で再議決する道が憲法で示されている。
 民主党が参議院で、すべて勝手な法案のみを審議して、衆議院から送付された法案を受
け付けなければ、参議院は不要の事態となり、国民は野党に非難の眼を向ける。
 予算と条約は、衆議院議決後三十日で自然成立となっている。よって予算成立及び、北
海道洞爺湖サミットの後までは、福田内閣のガマンの連続となろう。
 衆院解散を、福田首相は一切否定している。しかし、野党が眼に余る参議院の乱用によ
つて国民から非難され、自民党が有利とみれば、その時点で解散に踏み切るであろう。

政党よりも国家が大切
 現在の政治状況では、政策中心の与野党連立が一番望ましい。直面する外交が最大の焦
点となっているから。外交・防衛で内紛を招くことは最悪である。小沢氏は「政権に、ニ
ジリ寄ったのではない」とすれば、閣外協力であっても良い。インド洋への自衛隊派遭は、
自論を、与党に若干の修正を加えさせて、賛成に廻るべきである。
 福田、小沢の党首会談のあと、民主党内で否認されたが、小沢氏は信念を貫き、同調す
る仲間と離党して、党首会談の約束を果すべきであった。今日でもその道は遅くない。
 信念を貫けば必ず、野党内からも同調者は出て来るとみる。今になって民主党議員の中
にも、党が決めたテロ特措法反対の強硬論に服しかねる、というささやきを度々耳にする.
 小沢氏は、党利、党略を捨て、日本が直面している難関を切り抜けたのだと、後世に名
を残して欲しい。「党利と国益」とは、その重大性を全く異にする。
 このままでは、日本政界は果てしなく混乱が続くことを心配する。
 重要法案のみならず、今まで参議院でも、与野党を問わず、各党足並みを揃えて審議し
て来たはずだ。それを、眼の前に政権が近づいたからと思って極論するのは邪道である。
参議院の使命は、衆議院で可決された法案の補完的役割であって、主役ではない.それを、
多数の議席を得たからといって、衆議院から送られた議案を無視しては、審議を放棄した
ことになる。
 国民は民主党に政権交代を期待している。それなのに大任を悪用し、衆議院の議決を無
視せんとすれば、国民は、民主党そのものを軽視、或いは無視することになろう。
 日本が立たされている四囲を静かに考えてみるべきだ。太平洋の向こうでは、白いハゲ
タカが丸々と太った日本を狙っている。西には黄色い虎が爪を研ぎ、腐肉を狙うハイエナ
もうろついている。北の飽食したヒグマも、隙あらばと手ぐすね引いている.
 外交は国益の綱引きである。テロ対策の特別措置法案を妨害することは、結果として米
国および民主主義陣営の期待に背くことになる。
 福田内閣は、この法の成立を国際公約とし、内閣の運命を懸けて成立させると思う。
 その一方で福田首相は、アジア重視と称して、反日が国是の中国や韓国と懇親を深め、
やがて北朝鮮との国交をも夢みているらしい。それは、反米枢軸路線である.
 このことは、民主政治(米欧諸国)と容共独裁政権(中国・ロシア・北鮮それに最近の
韓国) との谷間に、自らを追い込んだことになりはしないか。
 省みれば昭和十五年(一九四〇)の第二次近衛内閣のジレンマと余りにも似ている。あ
の時は、米英の民主政治に対し、独伊の枢軸独裁政治であった。
 六十六年前の日本外交の苦心は、勢いの赴くところ、日独伊三国軍事同盟に迷い込んだ。
今日またも福田首相は、独裁政治に無残に踏みにじられないだろうか。
 自民党と民主党は、二大政党となった以上、国家の基本に対して、夜を徹してでも一致
点を求めるべきだ。                      平成十九年十一月下旬