今年の政局と格差の是正     塚本三郎

延長国会の功績
 平成十九年から二十年にかけての、年末年始の国会で、新テロ特別措置法の成立をめぐ
り、与党は、会期を大幅に延長して必死の努力を重ねた。対する野党は、自衛隊の海外派
遣反対の立場で、格好の攻撃の舞台へと活用し善戦した。
 年末から年姑に亘って、国会会期を延長して審議したのは珍しい。
 衆議院解散の声があり、地元で忘年会、新年宴会の諸行事が計画されているから、さぞ、
心はその方に向かっていたであろう。与党は新法成立の為、野党は阻止の為とは云え、双
方が、久しぶりに国会議員らしい働きをしたと評価する。
 野党各党は、参議院が衆議院と同等の資格を有すると考えているようだ。そして政府与
党の参議院軽視を、声高に叫んだが、憲法の第五十九条に基づき、衆議院で三分の二の与
党賛成で、新特措法を成立せしめた。久々の快挙と言いたい。
 万一、与党が参議院を衆議院と同等とみて、参議院で拒否された法案を見殺しにすれば、
憲法無視に止まらず、日本の国政は悉く停滞をせざるを得なくなる。そんな悪例は、更に
野党の邪な運営を招くことになる。従って衆議院優越の国会運営は、憲法を守ることであ
るばかりではなく、今後の政局を見据えた英断と評価する。
 また野党は、守屋防衛事務次官の汚職にかかわる諸問題を追及し、更に防衛庁時代の兵
器調達業者に対する、防衛省内のズサンな、金銭処理を追求して、新法の阻止に努めた。
目標は新特措法の阻止にあったとしても、この時期に、防衛庁の守屋氏の数々の汚職や、
武器調達を巡る民間業界との、闇の部分を露呈せしめたことの意義は大きい。今後の防衛
省内に於ける膨大な予算の執行に、公正の糸口を開いた野党の努力に、敬意を表したい。

通常国会の推移
 他人のいやがることは、やらないほうがいいでしょ。靖国神社参拝に対する福田首相の
コメントを印象深く受け止めた。首相が信念を持っての発言なのか。
 政治の基本は、反対する相手には堂々と立ち向かい、論破もh実行することである。
 敵を作らないようにすることは、外に対しては外務大臣、内での折衝の任は国会対策委
員長の舞台である。公人である首相は、大局的立場に立って、何が正しく、何が国益かを
判断し、決断することは言うまでもない。
 今回の再延長国会では、福田首相の決断は見事であった。
 それに立ち向かった野党各党も、野党としての任をよく果したと安堵した。
 さて通常国会が、予算と条約を無難に成立させることは、憲法の明記するように最高の
責務である。問題は、予算に基づいて実施する個別関連法案の対応である。
 小沢氏率いる民主党は、重要な法案は悉く阻止する構えである。それは野党として一つ
の見識である。福田首相はどう対応するのか。正念場を迎える。
 福田首相は、日本国家の代表であり、そして国民の最高責任者であるから、堂々と信念
を貰いて欲しい。その結果、国会が行き詰まり、立往生すれば、衆議院は解散となる。
 自民党は負けるかもしれない。それでも仕方がない。与党も野党も信念を貫く。それが
政治だ。政治家は断固たる信念をもって国民の前に行動すべきだ。
 与野党が、グズグズと、どこで、どうして結着したのか、政治不在の国会となれば、国
民が政界を見捨てる。否、既に諸外国は日本自体を見捨てつつある。昨年末以後の株価は、
記録的な下落であり、本年は更に急落しつつある。米国のサブプライムローンからだけで
はない。政治に対する不安が、経済に大きな衝撃を与えている。
 福田政権になってから、株価は日経平均で三千円近い下落である。リーダーシップの欠
如、「構造改革」の後退、バラマキ財政の復活等々、これ以上政治不信を拡大させるな。
 衆議院を解散すれば、無責任な野党が政権の座に就くおそれがある。それは最悪の事態
だ、と与党は自負する。しかし、そうなっても致し方ない。今日のような、グズグズの、
何が何だかわからない事態は続けて欲しくない。下手をすれば今後六年間も、政治不在が
続くという、船頭なき日本丸の航海を続けるべきではない。
 福田首相は、自民党らしい主張を堂々と、先の新特措法の如く貫き続けていくべきだ。
 野党の主張に耳を傾けても、決して迎合すべきではない。万一その結果、両党が衝突し
行き詰まれば、解散に追い込まれ、選挙で負けてもそれは天命と潔く受けるべきだ。
 野党、特に民主党が政権の座に就いても良い。そのことで民主党が自民党に代って、立
派な反対党に成長すれば、国家として悦ばしいことである。純粋の革新政治を、国民の相
当数は期待しているはずだ。片山内閣以来の、期待かもしれない。
 逆に、民主党内で、理念の対立による違いが露呈される可能の方が大かもしれない。そ
の時には、結果として、民主党の分裂がおこり、政界の再編を呼ぶことになる。参議院議
員も分裂し、解散出来なくても、解散と同じ結果となるであろう。
 自民党も、民主党も、政権に執着するのではなく、お互いに、堂々と所信を貫くことが
出来るか否かが、今年の政局の焦点となる。

自然は平等とみる
 天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらずと論じたのは、福沢諭吉であった。
 人間社会は、文明発展の度合いから、次々と主役を入れ換えてきた。まず石油時代の出
現である。今日では、石油価格が異常に高騰し、産業界の首座を占めつつある。アラブ諸
国は、地上最高の繁栄を招いている。ソ連は、貧しく遂に共産主義を放棄して解体し、ロ
シアヘと国名まで変えたが、石油と天然ガスの産出によって、大国へと戻りつつある。
 中国、インドは、膨大な人口ゆえに、先進国は競って安価な労働力を求めて、この地に
資本を投資しつつある。その結果、やがて膨大な消費国へと変質しようとしている。
一方、日本は、地下資源は殆ど無い。石油もガスも、天然鉱物資源も無きに等しい。
 しかし、春には暖かく、夏には暑く、秋には実りをもたらすさわやかさがある、そして、
冬には厳しい寒さが訪れ、しばしの休息を与える。それを程良く受け止め、日本人特有の
勤労精神を、そして創意工夫の農耕民族を育てた。
 平和な日本民族が、自然と一体の生計を組み立てて生き、特有の文化をも育てて来た。
 光と風が、日本を世界一温かく清潔でさわやかな国民を育てた。
 その主役は水である。そして緑の資源である。世界は清潔で美味しい水を、ボトルに詰
めて売る時代となった。日本も、果汁と同一の値段で単なる水が売られている。
 日本人にとって、水は余りにも恵まれているから、「湯水の如く」と評して軽視していた。
だが今日では、日本でも若者が、水のボトルを片手に歩く姿さえ見かける。
 神や仏は人間を差別しない。例えば、大樹には「大雨」を、道端の草木には「少雨」だ
けだと区別しない。雨の量を差別なく降らせるが、その水を吸い上げる「カと能力」によ
って大木となり、小さい草木は、時にはその大半を流してしまう(法華経薬草喩品第五)。
 否、雨の大・小によってだけではなく、受ける者によっては、毒にも変ずる。牛が呑ん
で乳となり、蛇が呑んで毒となると言われて久しい。
 日本は、つい数十年前まで、貧乏人の子沢山と椰捻され、敗戦直後は「産児制限運動の
旗手」、加藤シヅエさんが活動し、子沢山の救世主であった。今日では逆に少子化対策とし
て、小泉内閣では、二子を産んだ一教師が、少子化対策の担当大臣へと任命された。この
ように、何時の世にも、マイナスがプラスとなり、その逆となることはいくらでもある。

格差是正は収入だけではない
 多くのメディアは、小泉、安倍両内閣で行なって来た改革は、改革の名に催しないと批
判し、野党はこれに便乗し、大声で与党を攻めて、次の点を列挙する。
 「大都会と地方の貧富の格差を拡大させただけだ。そして強い大企業と弱い立場の中小
企業との格差を拡大させ、零細企業者を倒産に追い詰め、不平等だけが取り残された」と。
 改革が或る程度の犠牲を伴うことは、政府と錐も承知していたと思う。痛みの無い改革
は、その名に値しないとも云う。改革によって得られるプラスと、失うマイナスとの度合
いを検討し、更に将来に亘っての戦略を、充分に検討して来たか否かが問われている。
 日本は通商貿易によって生きる国であるから、改革の行き着くところ、国家としての垣
根を取り外すことが必要となる.その場合といえども、外国の巨大な資本カや、労働力と
いう人口や、軍事力を持つ相手に対しては、丸裸であって良いはずはない。
 自由競争は、適者生存の原理と共に、弱肉強食の野獣の棲むジャングルでもある。
 かつてアラブ諸国は、金と銀との鞍置いてと歌った、ノドカな砂漠の地であった。
 だが天然資源ゆえに地上の天国と化したが、逆に動乱とテロの地獄の様相と変じている。
 強者が、弱者の伸びる余地を閉じている場合は、それを除去するのが政治の使命である
 だからといって格差の是正が「弱者の数による政治への強圧」であってよいのか
 富者を抑えたからといって、貧者が豊かになるものではないことは言うまでもない
 東京、大阪、名古屋は三大富裕地方とされ、東北、北陸、そして四国等との貧富の格差
は拡大されたと、小泉、安倍両内閣の改革に対して、野党はマイナスを強く非難する。
 格差の是正を余儀なくされた福田内閣は、止むなく三大富裕圏から、法人事業税の半分
を国が取りあげて、貧しい県に振り向けようと努めている。
 平等は、政治の眼目の一つであり、努力を惜しむべきではない。
 その一方で、何が平等かを省みる冷静さを忘れてはならない.
 東京と東北の寒村では、地価を比べれば十倍、否、処によって五十倍、百倍の差が在る。
 東京では、三百平米の土地に、普通の住宅を建てても豪邸と呼ぶ。地方では、中心の商
店街でなければ、同じ広さの宅地が中流であり、豪邸とは呼ばない普通の住宅である。
 地方には青い空が当たり前である。空気がうまい。水は美味しい。まして騒音は耳にし
ない。処によっては、美しい山々が、彩りとそれぞれの季節を教えてくれる。
 収入は大都会の半分であっても、地方では住居費は驚くほど安い。金銭で計ることだけ
で貧富を論じて良いものか。マスメディアも、政治家も、就職の場と貸金のみで「格差を
論評する」のは行き過ぎで、ゆったりとした、山村にあこがれる都会人も少なくない。
 自由と平等を「同時に約束するのはサギだ」と述べた哲人の言を思い出す。
                                  平成二十年一月下旬