アナログ時代の高画素 | コダックテクニカルパン |
kodak テクニカルパン135-36EX maicroNikkor 55mm F3.5 |
フィルムからデジタルに移行して、幾つかの問題が浮上した。例えば、レンズを通し入った光は、撮像素子に 反射して再び、特に、平面であるフィルターや保護ガラスに映り、それが画像に再度写される現象である。フィ ルムではそれだけの反射がなかったことから、問題にならなかった。保護ガラスを従来の平面から曲面にする など対応策がとられている。他にもレンズが持っていた癖が強調されたりして従来のレンズのままでは対応で きないことが起き、メーカーを慌てさせた。デジタル技術の向上にレンズが対応できなくなってきているわけだ。 フィルムでは、その感度によって粒状性が変わることがあるものの、高画質を求めた場合、フィルムサイズを 大きくするなどして、大・中・小と目的に応じたカメラに分かれていた。デジタルにおいても一部、そのような傾向 があるものの、多くが、小型カメラのボディを使って、画素数を上げる方法がとられてきた。つまり、35mm一眼 レフは、どのようなことをしても35mmであるが、デジタルは、例えば、1、000万画素となると見た目は35mm 一眼レフに見えても実質、中判カメラに相当する。しかも撮像素子サイズが、APS−Cならば、かつてのハーフ 判サイズの中に中判カメラの情報量を入れていることになる。そうなってくると、それだけの再現性を要求される レンズには過酷な環境となるわけだ。例えば、山を撮った場合、35mmなら山が写っていればよしとする。これ が大判ならその山の木々一本一本、更には枝葉までも要求しようと思えば更なる大きなフィルムで対応する。 そうすれば、その分大きく撮るので、レンズは、その画面をカバーできれば、それだけ精密な描写を可能とする。 ところが、フィルムに相当する撮像素子のサイズが同じで画素数が上がると、写す大きさが一緒でありながら、 精巧な描写が出来るレンズでなければ、ならなくなる。ニコンがD2X(1240万画素)を発表する前、現行レンズ が対応できるのが、「2000万画素」と述べたことを聞いたことがある。2000万画素がフィルムのどのサイズに 相当するかは、明確には分からないが、仮に35mmフルサイズの素子であった場合でも、2000超はレンズに とってかなりの性能が要求されることになる。
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では、描写はどうであろうか? 確かに素晴らしい粒状性である。粒状製に関していえば、4×5に匹敵しているであろう。この点では 今日言われる高画素デジタルと同じ、同一サイズでの高解像度写真である。スタジオでの人物撮りには重宝した。B全ポスターにも使 用したが、間近で見ても素晴らしい。ただし、現像ムラが生じやすく、特に現像から停止に移すときに神経を尖らせた。普通のフィルム なら停止を省いて定着にもっていくことも出来ないことはないが、このフィルムでそれを行なうと覿面にムラが生じる。 さて、粒状性は文句無いのだが、質感となると妙に“ツルッ”とした感じである。これも今思えばデジタルっぽい。無粒子であるデジタル に似た描写であった。当然、当時はデジタルは無かったのでそうは、思わなかったのだが。 この頃、よく愛用していたレンズが、マイクロニッコール55mmF3.5である。この時代、既に生産中止で新型が、F2.8となり、近接 撮影方式の考え方が変わって設計されたものが主流となっていたが、前モデルである、F3.5マクロはとにかく解像度が良かった。 そのため、テクニカルパンとの相性が良かったものと思われる。しかしながら、通常フィルムで撮った場合の、人の肌や物の質感に対し テクニカルパンでは、ツルッとした陶器やプラスチックのようなある意味、滑らかな質感になる。これは、マクロでなく、普通のレンズを使 用すると、その傾向はなお、強くなる。これが、おそらくはレンズの解像力を超えた状態なのだろうと考えた。 ちなみにミニコピー愛好家の話によると、引き伸ばし機で、かなり大きく拡大して見ると輪郭はボケて見えるという。デジタル時代の今 なら、パソコンで100%以上で見ている状態であるが、これぞ、アナログ(銀塩)時代の高画素である。 |