はじめてのデジタルカメラ  Nikon COOLPIX 910










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Nikon COOLPIX 910   資料Nikon
 1998年、発売と同時にはじめて購入したデジタルカメラが、このクールピクス910だ。この頃の
デジイチは、ニコンは、フジとの合作、他ではキヤノン、コダックが先行する形であったが、それで
もこの頃は、デジタル使用は、一部の世界であった。このクールピクスもボディは三洋電機といわ
れ、デジタルカメラとなると従来のカメラメーカーよりも家電や電卓メーカーの方が得意分野となっ
た。しかし、このクールピクス、ニコンがD1を発表するまで、一部のプロが使っていた。小生もそ
の一人であるが、特徴としてシンクロターミナルが付いている。要するに、外部フラッシュが使える
構造になっている訳である。三洋電機製であってもカメラメーカーの老舗であるニコンの意向が
感じられる部分と言えよう。性能は、130万画素で価格は10万円ほど。現在のクールピクスから
考えれば、かなりの高額である。しかし、この時代のデジイチは、1画素1万円ともいわれ、200万
画素のキヤノンが200万円であったことから、妥当な価格だったといえる。それ以前のデジタル画
像を体感していない小生には、このカメラの画質は、フィルムに見劣りする印象は無かったが、こ
れ以前より、デジタル画像をテストして記事にしている友人の話によれば、相当な改善が成されて
いるとのことであった。
 画質については、特にフォトショップ等画像ソフトで激しい加工をしない分には、問題ないと思ったが、実際の撮影に関して言えば、まだまだの状態
である。シャッターチャンスは、連射機能よりシャッタータイムラグが重要で、例えば、連射機能と無縁のスピグラで決定的瞬間を捉えた名作があるよ
うに、「あっ!」と思ってシャッターを切ったときから、実際に露光するまでの時間が短いほど、メカニズムだけで述べるなら有利である。その点、この
カメラは、恐ろしく長い。勿論、これがこの時代かつこのクラスのデジカメ標準であるのだが、動体を追うにはかなり難しい。ただ、デジタルならではの
機能が堪能できるところは、やはり文明の利器である。これ以前に、ビデオでは標準となっている、液晶画面によるライブビューは、横位置に限り、ア
ングルの選択が広がる。また、シャッター音が無音である。これは、例えば、ライカがいくら静かなカメラであったとしても、無音は不可能である。

東芝リブレットSS1000
 小生にとって、初めてのデジカメとなる、このカメラを購入するのと同時に、もう一つ、初めて購入した
ものがある。それは、パソコン。サブノートのリブレットだ。当時、世界最小といわれていた機種である。
友人から、「パソコン初心者が買うパソコンではない」と言われただけあって、さすがにパソコンを憶え
るには、難しい機種であった。ただ、これを購入したのは、それなりの理由があった。この頃、PHSの
サービスが始まった。ISDNと同じ速度のPHSは、当時としては、高速インターネットの部類に入る。
そこで、クールピクスで撮影した画像をPHSに接続したリブレットを使って、現地から写真を送ることを
目的として、デジカメ・パソコン・インターネットと小生は、初めて、そして一気にデジタルの世界に、足を
踏み入れたわけだ。ダイアルアップによる接続で1Mくらいのデータなら送られることが分かったのだが
実のところ、小生がやろうとしている「現地からの納品」というアイデアが、デジタル自体がまだまだ、印
刷の世界で普及していないこの時代、全く理解されず、不発に終わった。もっとも、当時、ベンチャー企
業が運営するBBSを使って地方の話題などを写真ニュースとして配信をすることに使ったので、まった
くの実験だったというわけではなかった。
とはいえ、10万のコンデジと激しい電力消費による電池代。20万ほどのPC。データ送信による高い通
信料、等々、この一式を売却するまでに使った金額は80万円を超えた。
 今日、カメラ付きケータイを活用する、若者を見ていると、当時の小生のシステムが携帯電話ひとつに
凝縮されているわけだ。ちなみにあれから10年でここまで変わるのだから、技術は日進月歩である。
小生がこのシステムを使用していた頃、京セラの広告でカメラにアンテナが付いたイラストがあった。
キャッチは「写真が撮れて送られる、夢の電話付きカメラ」であった。実際には、カメラ付き電話となった
が、小生にとっては、一歩先を行っていたという、いたって自分だけの“誇り”であった。