この世界での神話T   カールツアイスレンズ
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 Distagon 50mmF4C
 あらゆる世界で「○○神話」なる逸話がある。例えば、米国で成功の軌跡を表現する
“ソニー神話”やF1レースに挑み日の丸ボディで活躍した“ホンダ神話”の類である。
カメラの世界で有名なのは、酷寒の朝鮮戦争で唯一動いたニコン、及び戦場で被弾し
た時にニコンFに命中し命が助かった“ニコン神話”がある。特に後者は他のカメラでも
同様であったと思われるが、戦場という厳しい状況下で使用されるなりの信頼故に、誕
生した逸話と考えられ、その評価に値するだけのものを持っているのであろう。
 しかし神格化されたブランドには、実際と違った評価がなされ一人歩きをしている面も
“無きにしも非ず”と考える。
 カールツアイスは、自他共に認める光学ブランドであるが、小生もハッセルでよく使用
した経験を持つ。但し、ハッセルでしか使ったことが無いので、小生の見識自体が狭い
ものでもあるのだが、それでも「本当かよ?」という巷の評価に触れることが多々あった。
では、小生なりのツアイスレンズの評価は、高いコントラストの割りに、白トビ黒ツブレが
なく、特にモノクロでは、少ない焼きこみで階調豊かな再現力を持つ、とても優れたレン
ズである。勿論、当時その価格は国産に比べ突出していたので、それだけのことはある。
という見方であった。
半面、ディスタゴンなどのレトロフォーカス広角レンズは、周辺の流れが大きく価格の割りに不満の出るところもあったものだ。だから、
ハッセルもSWCという対照型レンズの“ビオゴン”を装着したカメラを用意していたと思われる。小生は、仕事で使用するにあたり、ディ
スタゴンは、F81/2〜F11付近で使う分には問題なかったが、どうしても明るさが要求される状況下においては、ペンタ6×7のSMCPE
NTAX45mmを使用していた。SMCタクマーからSMCPENTAXになってレンズ性能が格段に向上したことから、F4くらいの絞り値では、デ
ィスタゴンより安心して使用できた。但し、シャープなだけで味は感じられなかった。広告の世界では、味よりシャープさが優先されること
は普通の話であった。また、ボケ味の評価も疑わしい。この頃、ツアイスが供給していたカメラは、ハッセル以外では、ヤシカ(後に京セ
ラ)でのコンタックス、ローライ、大判では135mmF3.5がある。ヤシカ向けのレンズはともかく、ハッセルに関して言うと、レンズシャッ
ターが組み込まれたCレンズやその後のCFレンズに対し、「ボケ味がきれい」というのは、ツアイスの先入観によるものだと言い切りた
い。というのも、この頃、アイドル写真などで主流になっていた大口径レンズによる背景ボケボケ写真をハッセルで撮ることは不可能で
あった。もっともこの頃にハッセルはフォーカルプレーンボディを再発し明るいレンズを出してきたので、プラナー110Fやテッサー350
F4開放なら考えられないことは無いが、多くの人がCレンズやCFレンズを指してこのような評価をしていた。しかし、流行の背景ボケボ
ケを要求するクライアントに対しハッセルでその要求に応えようとC350F5.6やC500F8を開放で使って二線ボケに悩まされたフォト
グラファーが多々存在したのも事実である。小生は、プラナー100CFやゾナー180CFが好きなレンズであった。比較的ボケが美しか
った記憶がある。しかし、それも人物などの大きさを撮った場合、無限に位置する背景を選んでもさほど大きなボケを表現するものでは
なかった。コンタックスに関しては、使用していないので分からない。しかし、プラナー85mmF1.4についてもキヤノン85mmF1.2や
ニッコール85mmF1.4Dに比べ、格段にボケが優れている話は聞いていない。ツアイスならではの「味」は確かにあるのだが、シャー
プさやボケ味に対するツアイスへの評価は、その時代では、必ずしも的を射ていたものではなかったように感じられる。