ライカは本当に頑丈か?    Lica M4

Leica M4
 写真を良く知らない人でも「ライカ」という名前は、聞いたことがあるであろう。
35mmカメラとして歴史に残るライカは、最初に35mmフィルムを用いたバルナック
型で世界を驚かせ、次にM3の高精度で更に世界を驚かせた。ライカに詳しい人に
とっては、当然の知識であるが、M3の後に、廉価版のM2が出ているのだが、小生
はM2というネーミングとフィルムカウンターが露出した円盤であることから、M2が、
先に出たカメラだと思っていた。ニコンでいうなら、M2がS2、M3がSPといった印象
であった。M3はM型史上、最高のカメラと言われ、その後のモデルでM3を越えるも
のは無いといわれる。その理由は、勉強不足でよく分からないが、M型はM2の後に
M4が登場、その後、TTL内蔵の大柄なM5が登場、一方M4は、マイナーデェンジで
M4
-2が、登場し、途中からカナダ生産となってM4pとなって行く。その間、M5から、
従来のデザインに戻ったM6と引き継がれた。M型の系譜は、異端のM5を別として
基本的にM2がベースとなっていると言われる。したがって、M3は唯一無二不世出
の逸品といわれる所以のようである。(他にもM1やM4M等有り)
 バルナックに戻るが、当時のライバルは、コンタックスであるが、このカメラは、ライカ
を意識してか、何かにつけてライカとの差別化がなされ、特にシャッターは縦走り金属
シャッターであった。ある意味、全てにおいてライカを凌ぐスペックを持っていたが、そ
の高性能が祟ってか、コンタックスが極寒地で作動しなくなったのに対し、オイルレス
のライカは作動した、という逸話があるようだ。無理をしないスペックが、高耐久である
ことに寄与したといえる。
 ライカは、赤瀬川源平氏が発見したライカウイルスを持っていて、特に日本人は感染し易いといわれる。・・・「なんのこっちゃ」であるが、要するに
ライカの魅力に取り付かれた人達が感染者で、それだけ魅了するカメラであるということだ。
その説からすれば、小生も一度、感染したことがある。一時期、ライカM4のユーザーであった。この頃は、M4はM3のモデルチェンジと思っていた
のでM3に対する優越感があったのだが、前述の如く、それは大きな間違いであることを後にする。M3を使った経験は無いので、M3の素晴らしさ
は、分からないのだが、M4もその柔らかなシャッター音は、感動した。この頃、主力で使っていたカメラがニコンF3だったので、レンズごとに、ファイ
ンダーフレームが変わる構造を持ったM4は、精密機械でありながら、ある意味、一眼レフのことを思うと非効率的なカメラだと思った。しかし、さりげ
なく撮るには、とても良いカメラである。また、M3は巻上げが2回に対し、M4は1回。巻き戻しクランクが斜めなのもM4の方が好きだった。
 さて、ライカは一般的に丈夫なカメラと言われている。確かに前述のようなことがあれば、そうなんだろうと思う。しかし、M6が現行機種であった当
時は、ライカは趣味の世界となり、多くのユーザーが丁寧に扱う。これでは、本当に丈夫なのか評価ができない。あくまでも印象だが、ニコンFやF3
の方が、ずっと丈夫であると思われる。それと、一番の問題は、ライカでは太陽の写真は撮れない。その理由は、太陽にカメラを向けると、シャッター
幕が燃えるからだ。多くの人が、小学校の理科で虫眼鏡を使って太陽を黒い紙に焦点を合わせると燃えた、という実験をした記憶があると思う。そ
れと同じことがカメラ内で起こるわけだ。そして、小生はそれをやってしまった。
 ある日、M4を持ってスタジオの窓から外を眺めていて、つい、太陽に向けたところ頭の中で「シマッタ!」と叫びレンズを外したら布製シャッター幕
から煙が上がり、裏蓋を開けたらゴム引きしたゴムが、まるで餅が焼けて膨らんだ状態のように“ぷくー”と膨らみ、暫くして縮んだ。結果、穴は開か
なかったが、こげ跡がついた。ライカユーザーらしからぬ使い方であろうが、いずれにせよ、小生は、他のカメラ同様、角をぶつけへこましたりしたも
のである。そういう意味では、丈夫ではあったが、コレクターのようなライカファンが口にする「丈夫なカメラ」という説明は、あくまで伝承主体と、過
去の逸話から来ているように思われる。







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