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【知道中国 175回】〇八・七・念ニ 「三原則」
―胆大為妄、或は暴虎馮河・・・― |
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この世界で起こる複雑極まりない現象も、存外に簡単な法則の組み合わせで解き明かすことができるようだ。たとえば慣性の法則、運動の方程式、作用反作用の法則で構成された「運動の三原則」によって、あらゆる運動現象を原理的に説明しきってみせたニュートンのように。
そこでニュートンに倣って、殊に複雑・怪奇・激越・面妖で変転極まりない最近の中国の振る舞いを改めて考え直してみる。とりたてて小難しいリクツを持ち出さなくてもいい。中華民族主義、大一統、反日の3原則で説明できるだろう。これを総称して愛国無罪。
先ずは中華民族主義。たとえば聖火リレーからオリンピック目前の北京の戒厳体制までは、これでヒト括りできるはず。
スポーツに政治を持ち込むなといったところで、所詮は政治だ。北京オリンピックは我が民族が一切を差配し、中華民族の存在感を全世界にみせつけるための絶好の機会である。ならば民族の面子を潰してやろうなどと妄動する輩の跳梁跋扈を許すわけにはいかない。豪華絢爛の聖火リレーを妨害するヤツラに対し、こちらから出向き断固懲らしめてどこが悪い。北京がオリンピックを行うに相応しい安全・安心の古都であることを印象づけるために、万難を排して取り組むぞ。
不逞の輩は断固として海外の客の目の届かぬところまで放擲せよ。こうなったら東京やソウルでのオリンピックが子供騙程度だったことを、北京を戒厳令なき戒厳下の要塞都市と化してでも、断固として世界にみせつけてやる、となる。
次いで中華民族は一つであるべきだという大一統という手前勝手な考えがあればこそ、3月のチベットにおける民族弾圧や少数民族に対する理不尽な仕打ちにみられるような“蛮行”が繰り返されることになる。香港やマカオでの“慣らし運転”を終えた一国両制を、これから台湾に推し進めようと虎視眈々と狙っている。大一統という民族の聖なる使命の前には、台湾住民の意思などナンボのモンジャイ、なのだ。
さて最後に反日だが、誰もが昭和に入ってから、ことに昭和6(1931)年9月18日に勃発した満州事変以降の中国大陸における日本軍の行動に原因があるように看做しがち。たしかに「九・一八」は反日の記号となり、満州を流れる松花江は反日のシンボルとなった。
だが、戦争時の「日本帝国主義打倒」からはじまり、毛沢東時代の全国一斉に一糸乱れず展開された「日本帝国主義復活阻止」を経て昨今の若者によるネット反日まで、これまでみられた一連の反日行動を冷静に振り返ってみる時、そこに侮日・軽日・憎日・恐日・畏日・罵日・嫌日・敬日、時に恋日の意味が込められていることが見て取れるのである。
そもそも歴史的に考えるなら、中国人が自らの不甲斐なさを否も応もなく知らされた日清戦争こそが、両国関係の分水嶺だったような気がしてならない。
負けるはずのない《小日本》に朝鮮半島で完膚なきまでに叩きのめされてしまったことで、東方に浮かぶ「海上の三山」に棲み中華文明の栄に浴すことのない化外の民たる《倭人》に対し持ってきた優越感は吹っ飛んだ。以来、《小日本》が屈辱と恐怖のトラウマになってしまった、というわけだ。
いま共産党政権は中華民族主義、大一統、反日の三頭立て馬車で疾駆する。で、行き着く先は・・・天知る地知るも、我知らず。 《QED》
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