【知道中国 189回】〇八・
「いもっ子」
―はたして台湾は「中国の政治」を断ち切れるのか―


 『台湾のいもっ子』(蔡徳本 集英社 1994年)

 薩摩芋の形をしている台湾で「いもっ子」と呼ばれる本省人が辿った苦闘の半生だ。

 戦後繁栄の頂点にあったアメリカが貧困な国々に与えた経済援助のマーシャル・プランによって、筆者はアメリカへの留学をはたす。貧しすぎた台湾では夢のような話だが、その前に越えなければならない「必要不可欠な前提条件」があった。それこそが、大陸での国共内戦に破れ命からがら逃げ込んだ台湾を軍事制圧し、一党独裁の恐怖政治を続けることでかろうじて命脈を保つことができた国民党に入党することだった。

 入党の日、彼は同窓から自嘲気味に「君もついに『合汚』したね」と声を掛けられる。
 「『合汚』とは、中国語で、清らかな流れが濁った川に流れこんで一緒によごれることを意味する」。
  国民党は大陸以来の腐敗汚職体質を増殖させただけではなく、1947年2月の「2.28事件」を機に、いもっ子に対する猜疑心を募らせ峻厳苛烈な監視体制を築く一方、台湾に「自由中国」のカンバンを掛け共産主義中国への反抗基地とした。かくて国民党は、いもっ子にとって不倶戴天の敵であり怨嗟の的となる。だが「合汚」でもしないかぎり、国民党制圧下の台湾では生きていけない。ましてや留学など万に一つも叶うはずもなかった。

 念願の留学から帰国して1ヵ月の後、運命の日がやってきた。共産党容疑者として逮捕された人物が当局の厳しい取調べに窮し、彼の名前を口にしたというのだ。「空は、青く澄みきって、日は燦々と輝き、南から吹いてくるそよ風」を心地よく感じながら、自宅の裏庭のザボンの木の下で小学校以来の友人と碁を打っていた彼は、そのまま連行された。
 身に覚えがないから否認する。そこで彼は“頑迷な確信的政治犯”とされ獄舎に閉じ込められる。来る日も来る日も続く「永久未決犯」たちの悲劇は、いもっ子の心に消そうにも消せない深い傷を刻み、たんに国民党というよりも台湾海峡を越えてやってきた無慈悲で凶暴な“中国人権力者”への憎悪を激しく燃え立たせる。獄舎で、いもっ子の1人は「私は自分の体に漢民族の血が流れていることを恥に思う」と怨み、上海人政治犯は「中国の政治は、君たち台湾人が考えているような単純なものじゃないよ」と呟く。

 1955年末の釈放から35年が過ぎた1990年、いもっ子の1人である李登輝が「中華民国第八期総統」に就いて民主化・台湾化への第一歩を踏みだす。翌91年、いもっ子を敵視し雁字搦めに縛ってきた「臨時条款」が廃止され、いもっ子が自由にモノをいえる時代がやってきた。そこで過酷な人生を綴ろうとしたのだが、中国語でも台湾語でも心を裡を語ることなどできそうにない。彼は日本語で書くしかなかった。いもっ子の五体に宿った半世紀におよんだ日本時代の台湾の姿を、読者は改めて思い知らされることになるだろう。

90年から今年5月までの18年余りの間、政党は違うものの、いもっ子政権は李登輝と陳水扁の2代続いた。だが、今年5月には馬英九政権に取って代わられてしまった。その後の、なにやら空前の“蜜月関係”を内外に印象付けるべく進んでいるような両岸関係をみせられるにつけ、台湾は2つの「中国の政治」――議会で圧倒するだけではなく政府をも制した国民党に加え北京の共産党政権――に弄ばれはじめたようだ。ふたたび台湾は「中国の政治」によって左右されてしまいかねない。いもっ子が辿らざるを得なかった苦渋・苦闘の時代は、あまりにも狡猾でおぞましい「中国の政治」の実態を描きす。  《QED》