【知道中国 192回】〇八・一〇・念一
『山海経』
―「段ボール肉まん」のルーツは、ここにあったのか―

    『山海経』(平凡社ライブラリー 
1994年) 

 中国古代に編まれた多くの書物と同じように、「せんがいきょう」とも「さんかいけい」とも読まれる地理書の『山海経』もまた誰が、いつ書いたのかよく判らない。いずれにせよ最初の部分は戦国時代(紀元前5から3世紀)に成立し、秦・漢(紀元前3から紀元3世紀)と時代が下るごとに次々と書き足されて現在の形になったというのが一般的見解だ。
 天下の中心たる洛陽を囲む山々を起点に四方八方にウネウネと続く連山に広がる世界を綴るのが、「第一 南山経」から「第五 中山経」までと「五蔵山経」。そこに連なる山々の頂から裾野までを訪ねるのが「海外経」に「海内経」。さらに「大荒経」など全18巻で構成されている。
 いわば「天地四方の間、四海の内」に在る世界を、重畳と連なる山々と、そこを水源とする河川とで分かち、各地に産する物産、そこに棲むありとあらゆる生き物を数え上げ解説を加えたものだが、やはり注目すべきは摩訶不思議な生き物だろう。


 たとえば尸胡という山の頂には金・玉が、麓には荊が多い。魚の目をした麋(なれしか)のような鹿がいる(「第四 東山経」)。結匈国の人々は胸が飛び出し、虫を蛇、蛇を魚と呼ぶ。
 翼が繋がった青赤2色の比翼の鳥が空を舞う。その東南の羽民国には、頭が長く体に羽根が生え夜を支配する神人が棲む。その東には人面で1本足の畢方鳥がいて、さらに南の讙頭国には人の顔に鳥の嘴、翼をつけて魚を捕らえる生き物がいる(「第六 海外南経」)。現代でも蛇を長虫とも呼ぶが、結匈国の伝統が今に伝わっているというわけでもあるまい。


 「想像上の世界を縦横に走る山脈、そこに息づく奇怪な姿の怪力乱神たち。原始山岳信仰に端を発し、無名のひとびとによって語り継がれてきた、中国古代人の壮大な世界が蘇る」と表紙の帯封に書かれているが、確かに「奇怪な姿の怪力乱神」たちの線描画で描かれた奇怪だが素敵なイラストを眺めていると、想念の翼が次々に広がり、想像の果てまで飛んで行ってしまいそうだ。

 気の向くままにページを繰れば、儒教経典である四書五経などにみられる四角四面で謹厳実直なウソ臭い世界とはまったく異なった、古代の人々が目いっぱいに広げた広大無辺の想像の物語に出会うことになるはずだ。おおらかな想像の翼に乗って、摩訶不思議で衝撃的な世界に紛れ込んでみるのも一興というものだ。


 人面に似た面構えで豺(ヤマイヌ)の身に翼をつけ喚きながら蛇行する化蛇(コイツは洪水を呼ぶそうな)。人面に虎の身で嬰児のように鳴き人を喰う馬腹。3匹の青獣が一体化した双双。顔が3面の三面人。蛇に4枚の翼をつけたような鳴蛇。一本足の一臂人――こういった魑魅魍魎が中国古代に棲んでいたと妄想を逞しくしてみたらどうだろう・・・。

 たとえば智慧なんぞは小ざかしいと鼻先で笑い飛ばし人生を達観しきったように振る舞う老子にとっての唯一無上の道楽が化蛇の捕獲であり、一臂人の弟子を引き連れ各地の君主に仁義廉恥の王道を説くべく道を急ぐ孔子が馬腹に出くわした途端に腰を抜かさんばかりに驚いて脱兎のごとく逃げ出し、法治を掲げた韓非子が双双に牽かせた愛車を“道交法違反”もお構いナシに猛スピードでぶっ飛ばしたり、現在でも漢民族の祖と崇め奉られる黄帝の好物が鳴蛇だったり――
 『山海経』という摩訶不思議な世界を生み出した想像力が
21世紀の中国人にも受け継がれているとするなら、段ボール肉マンや農薬付き冷凍野菜なんぞを遥かに越えるシナモノが、そのうち登場することだってありうる・・・かも。 《QED》