【知道中国 194回】〇八・十一・初四
『中国料理の迷宮』
―胃袋はウソをつかない―

  『中国料理の迷宮』(勝見洋一 講談社現代新書 2000年)

 この本を読み進むと、いつしか行間からミジンに刻んだネギ・ニンニク・生姜を炒めた香ばしい油の匂いや醤油の香ばしい薫りを感じてしまう。厨房の喧騒、鍋の下の紅蓮の炎があげる轟音、高級料亭の華やぎから屋台を包む街角の雑踏、はては料理を待ちわびる人々が堪らずにゴックンと鳴らす喉の音が聞こえてくるだけでなく、時に名人上手が丹精込め手作り上げた旨い賄い料理からアツアツの豪華料理までが眼の前に浮かんでくる。

 1949年に東京の新橋で代々続く美術商の長男として生まれた著者は、文革初期より北京中央文物研究所に招かれて美術品鑑定の作業に当たる。当時の北京に招かれたというからには、さぞや過激な文革礼賛者で熱烈なマオイストと思いきや、さにあらず。文革が「文化の攪拌と規制の価値観の崩壊」を招き、「全中国人を無知な農民にし、経済基盤を三国志の時代に帰してしまった」と断罪する一方、「ともかくも食生活と食文化で言えば、コンプレックスを植え付けられかねない状況に生まれ住んだ毛沢東は終生、食生活を革命することなく、因習にとらわれながら故郷の田舎の味だけを食べ続けた」と、食生活に限ってはいるが毛沢東を「洗練されてない」と切り捨て、返す刀で現代中国において“聖人”と崇め奉られている周恩来を「毛沢東専任の総務部長のような役職を果たす宰相」と一刀両断。

 著者は「要するに、漢族の味は他民族によって解体され、さらにまた統合して現代に至る中国料理の味覚を獲得した。またその漢族の味はモンゴル族、回族と同化して広大な国土を統治しようとする多民族の歴史であり、世界的にも例のない進歩過程」を経て現在に至ったもの。「その料理はひとつの流れとしてまとまるのではなく、ほかの隣接した地方とまじり合い、共鳴しあって、境界線を滲ませていく」とする。ならば周辺を侵食し膨張を続ける漢族の歴史こそが「漢族の味」を生んだと考えられる。

 北京の古い街並みを散策しながら、政治と浪費の皇都で生まれた北京料理の歴史と変遷を語り、文人墨客や京劇の名優たちが遊んだ名物料亭の来歴を尋ね味の秘密を解き明かす。老便宜坊の北京烤鴨、正陽楼の清蒸蟹に姜味蟹、東来順の羊肉、酔瓊林の五柳魚、恩成居小吃館の炒牛肉絲――こう並べただけでも涎がでてきそうだが、この本の面白さは共産党が「漢族の代表として、そして全中国のほとんどを占める農民の代表として君臨する」ことになって以後の中国料理をめぐっての奇想天外なドタバタ劇にこそある。

 たとえば文革期。清朝の乾隆帝がたった一人お忍びで来店したという伝説で知られる焼売の老舗・都一処は料理の「り」の字も知らない小僧っ子たちの紅衛兵に占拠され、なんとも無粋な燕京焼売館革命委員会によって管理され、「労働人民の搾取の象徴」「資本家の牙城」と糾弾されたという。もちろん天下第一の焼売など食べられるわけがない。毛沢東のお墨付きをタテにした紅衛兵の波状攻撃を受けた名店でもトウモロコシの饅頭にスープの「労農兵メニュー」を作らざるをえなかった。筆者は当時を「旨いものなど絶対にでてくるわけはない」と怒りをこめて振り返るが、やはり彼らの“持ち味”である「旨いもの」への飽くなき欲望を失くしたら中国人ではなくなってしまうようだ。

 「中国人は今も昔も自分が生まれ育って食べてきた、非常に幅の狭い食文化圏から離れられない民族である」とは、中国人と中国文化に対する著者の率直な思いだろう。  《QED》