【知道中国 203回】〇九・一・初二
『08憲章』
―「08憲章」に対する2,3の疑問―


 世界人権宣言60周年に当たる12月10日、中国の知識人、人権活動家、法律家、学生、労働者、農民など92歳から22歳までの303人が署名した「08憲章」が公表され大きな反響を呼んでいる。

 当局の締め付けはあるが、その後も署名者は増加の模様だ。漢字4千字あまりの憲章は、現在の中国を①人民共和国とはいうが実質的には共産党の天下だ。②共産党政権が「政治・経済・社会の資源の全てを独占してきた」。③改革・開放で生活水準は上がったが、官僚の腐敗、人治の横行、人権の軽視、道徳の荒廃、社会の二極分化が進んでいる。④経済は発展したが奇形的で、自然環境と人文環境は破壊されるがまま――かくて「現行体制の時代遅れは直ちに改めざるを得ない状態に立ち至っている」と告発する。

 憲章が掲げる憲法改正、三権分立、党防衛軍(=人民解放軍)の国軍化、人権保障、公職選挙、集会・結社・言論・信仰の自由、行財政・教育改革、社会保障、政治犯の名誉回復など改革のための諸提言は、かつて台湾民衆が国民党一党独裁体制に突きつけた要求と二重写しに見えてきてしかたがない。台湾もまた「現行体制の時代遅れは直ちに改めざるを得ない状態に立ち至ってい」たのだ。当時の台湾では国民党、現在の大陸では共産党。共にレーニン式革命を“活学活用”した一卵性双生児的革命政党であり、「党国体制」を掲げ党絶対を信奉する権力亡者による人治が行われ・・・敵には冷厳・峻厳、身内に大甘。

 台湾では、李登輝が党主席という強い立場を巧みに利用し国民党中枢に巣食う蒋介石以来の外省人保守勢力を不退転の決意で排除したが、なによりも彼の背後には民衆――「声なき声」の熱い支持があった。時代を1世紀ほど遡った清末、康有為たちも「現行体制の時代遅れは直ちに改めざるを得ない状態に立ち至っている」と考え、清朝保守派一層を狙って百日維新を敢行した。
 だが、改革のため錦の御旗になるはずの光緒帝は超保守派の頭目である西太后に事実上幽閉されてしまい身動きがとれず、とどのつまり康は国外逃亡、譚嗣同ら改革激派は空しく刑場の露と消え、改革は跡形もなく潰え去ってしまった。

 メディアは憲章を「中国独裁終結を目指す」と好意的に伝えるが、権力中枢が2つに割れ内側から解体を逼らない限り独裁権力の命脈を絶つことが至難であることは、古今東西の独裁権力崩壊の歴史に学ぶまでもなく、李登輝の成功と康有為の失敗が教えてくれる。

 憲章は「結語」で共産党独裁が「中華民族の発展を束縛している」とするが、憲章署名者は共産党独裁終結後の将来に、どのような「中華民族の発展」を描くのか。そもそも彼らが拠って立つ「中華民族」とは、少数民族を隷属させた漢民族至上主義でしかない。憲章が構想する中華連邦共和国は《中国》を拒絶し独立を求める台湾の声を、どう扱うのか。中華民族が歩まざるをえなかった苦難の近現代史なるものの原因を他に押し付けてよしとするなら、共産党が掲げる唯我独尊で極めて身勝手な歴史認識と大同小異ということだ。

 憲章が「国民と国家に甚だしい代価を支払わせた」と糾弾して止まない反右派闘争、大躍進、文革など一連の“悲劇”にしても、勇躍として参加し、故なく友人知己を血祭りに上げ狂喜乱舞していたのは、いったい何処の誰だ。建国以来の惨禍の責任を毛沢東だけに押し付け口を拭うことは、許されないだろう。中華民族とそれを支える中華思想に対する根源的な自省・自戒・懐疑・自責の念が欠如している憲章に、多くは期待できそうにない。

 思い起こせば胡錦濤を民主化の希望の星と持ち上げた頃も、アリマシタッケ。  《QED》