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【知道中国 237回】〇九・五・初五 「時尚五十年」
―思えば、国を挙げての“御祭り騒ぎ”ばかりでした― |
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『時尚五十年』(武俊平主編 内蒙古人民出版社 1999年)
1949年10月1日、天安門の楼上に立った毛沢東が「中華人民共和国中央人民政府は本日成立した」と内外に向かって建国宣言をした瞬間から今日まで、思い返してみれば中国に“静謐の時”はあっただろうか。彼らは強迫観念に追い立てられるようにして国を挙げて息せき切って時代を疾駆し続けてきた。そして今、発展という魔物が彼らを追い立てる。
建国後最初に迎えた元旦である1950年1月1日の『人民日報』が「本年の神聖な任務は、チベット、海南島、台湾の解放である」と高らかに宣言したのも束の間、6月には朝鮮戦争がはじまる。続いて休む間もなく三反五反運動、百家争鳴・百花斉放運
動、反右派闘争、大躍進運動と激動が続く。こんな50年代がやっと終わったと思ったら、60年代半ばには超弩級の文化大革命が待ち構えていた。疾風怒濤・凄絶無比の時代は10年で幕を閉じたが、やがて毛沢東の死と四人組逮捕と続き、改革・開放がはじまる。そこで挙国一致で向銭看(ゼニ儲け)。かてて加えて外国から賓客がやってきたといえば、熱烈歓迎の大騒ぎ――とにもかくにも国民は総動員。銅鑼や太鼓でドン・ドン・チャン・チャン・ドンチャンドンチャンドンチャンドンチャン。ドン・ドン・チャン・チャン・ドドンガドンチャンと上を下への大騒ぎ。なんだか訳は判らないが、声を嗄らして「偉大なる領袖・毛主席、共産党バンザイ、万歳、万々歳」。よくもまあ、ヤケにならなかったものと感心させられる。
この本は49年以後の半世紀ほどの中国の歩みを「第一部 夢幻年代 (1949-1965)」、「第二部 瘋狂年代(1966-1976)」、「第三部 世俗年代 (1977-1999)」と3つに分かち、それぞれの時代を振り返り、半世紀の歩みを庶民 の素朴な視点で捉え直したものだ。
たとえば1958年の大躍進である。毛沢東が、「フルシチョフ同志は15年後にソ連はアメリカを凌駕するといったが、我われは15年後にはイギリスを追い越すだろう」とブチあげたことから、共産主義のばら色の未来が中国人を有頂天にさせてしまう。まさに夢のような日々の幕開けだった。当時、ある地方の共産党幹部は、「誰もが満足限りなく、食べるも住むも飲む着るも、一切カネはかかりません。鶏アヒル豚魚、味は飛び切り上等で、テーブルのうえ皿いっぱい。毎日果物味わって、服は抽斗いっぱいで、とっても着切れるものじゃない。誰もが満足このうえなくて、ここは地上の楽園だ」と、共産主義の素晴らしさを持ち上げた。そこで「急功近利(=利に敏い)」である中国人の性向が如何なく発揮され、あっという間に社会主義の段階をすっ飛ばして共産主義社会に向かって猪突猛進。こんな前後を弁えない常軌を逸した行動が大躍進という名の大飢饉を生んでしまったと、著者は慙愧の念を綴る。文化大革命も昨今の経済成長路線も、所詮は五十歩百歩というものだ。
数千年来の専制統治に馴らされてきたがゆえに、中国人は自らの感情をストレートに表すことが不得手。だが共産党政権の宣伝が奏功し、有史以来初めて国家の主としての誇りを感じ、彼らは傲然と胸を張り、声を限りに歌を唱い、舞い踊ることを覚えた。かくて彼らは、燃え上がるような心意気で勇躍として隊伍を組んだ――ここに著者は、毛沢東による“革命の特質”を見出そうとする。ならば前後の見境なき彼らの集団ヒステリー的行動は数千年続いた専制統治への復仇であり意趣返し、とも考えられる。さはされど、歴史への恨みを大騒ぎで解消しようとは困ったこと。傍迷惑限りなし、である。 《QED》
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