【知道中国 244回】〇九・五・念九
「愛国教育基地探訪(その6)」
―国民はいない。党員と人民だけの国だった―

   愛国教育基地探訪(その6)

   ――国民はいない。党員と人民だけの国だった

 唐山を後に、万里の長城の最東端を固める山海関を郊外に持つ秦皇島に向かう。ここでも汚れた大気に遮られ、朝の太陽は輝きを失っていた。早朝の街にでると、最初に目に付いたのが高さ3メートル、長さ50メートほどの塀いっぱいの長大スローガン。

 「学党則守党規 做合格的好党員 学憲法守法律 做合格的好人民」。白の地に真っ赤な文字だから、否も応もなく目に飛び込んできてしまう。かくて1年365日、通行人に「合格的党員」「合格的人民」に「做(なれ)」と促しているのだが、「合格的党員」や「合格的人民」が大量に生まれているのだろうか。それにしても憲法より党則、法律より党規、人民より党員が先に立つとは、共産党一党独裁の社会であることを改めて思い知らされる。だが、このスローガンに拠る限り党員や人民とは別に、国民という考えはないようだ。

 先ずは党員、次が人民。ただそれだけ、ということ。どうやら共産党トップを天子に、党員を役人に、人民を老百姓(じんみん)に置き換えれば、そのまま旧時封建王朝と同じカラクリとなる。中華人民共和国とは、なんとも不思議な国家だ。

 目下の天子である胡錦濤は江沢民から”帝位”を引き継いで3年ほどが過ぎた06年3月、全国政治協商会議で《八栄八恥》を掲げた。いわく「祖国を熱愛するは栄/祖国を害するは恥/人民に服務するは栄/人民に背くは恥。科学を尊ぶは栄/無知蒙昧は恥。労働に勤しむは栄/安逸を貪るは恥。団結互助は栄/他を貶め自らを利するは恥。信義を守り誠実背あることは栄/忘義にして利に奔るは恥。法と規律の遵守は栄/違法紊乱は恥。艱難辛苦し奮闘するは栄/奢侈淫逸は恥」。「栄」は「ほまれ」と読むべきだろう。政治家・役人の腐敗や拝金主義を根絶せよと大号令を掛けたのである。それにしても大時代風が過ぎる。

 その時から3年半ほどがすぎた。そこで「八栄八恥」のスローガンを探すが、どこでも見あたらない。ということは胡錦濤の試みは大成功し、「八栄八恥」のスローガンは用済みとなってしまった。それとも誰も見向きもしないのか。それにしても天子サマの尊いお言葉である。どこかにあるはずだと諦めずに探していたら、中国滞在4日目の夜、遵化の足療店の階段の踊り場の壁でやっと発見した。足療を受けながら栄・恥を知るのか。この店の道路に面した大きなガラスには、墨痕鮮やかに「足道」の2文字が書かれていたっけ。



 政治家や官僚に科学的で民主的で遵法精神に則った政治を進めよと説く「科学執政・民主執政・依法執政」や、政治はヒトを出発点に置けと求める「以人為本」も胡錦濤政権が力を入れて掲げるスローガンだが、容易くは見つかりそうにない。胡政権が実現を目指す「和諧社会」の「和諧」の2文字ぐらいはどこでも見かけるだろうと高を括っていたが当て外れ。こちらに出くわしたのは旅行5日目。承徳の市街地を目前にした国道脇の電柱だった。「做廉政公僕 建和諧交通(清廉な公僕たれ 調和ある交通を目指せ)」。だが赤い小さなブリキ看板に黄色い細い文字。車からも歩行者からも、マトモには読み取れない。

 ここで秦皇島の朝に戻る。軒を連ねる店舗のシャッターの開く音が聞こえるようになり、道行く人も多くなってきた。ホテルの朝食に戻ろうとUターン。すると偶然にも目の前の薬屋の看板が目に入った。「独活人間世 当帰方寸地(この世を活きるはただ独り、死んだら方寸地《あそこ》に帰るべし)」と小さく10文字。味わい深い看板だ。(この項、続く)  《QED》