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【知道中国 251回】〇九・六・念三
「愛国教育基地探訪(その13)」
―誰も読みそうにない「文明行為」の「公約」と「指南」― |
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――誰も読みそうにない「文明行為」の「公約」と「指南」
唐山から秦皇島へ向かう高速道路のサービスエリアで便所に入ると、真新しい白いタイル壁の目の高さ辺りに「半歩前、されば文明一歩前進」と小さなステッカーが貼ってある。小便器の周りを汚さないことで進歩する「文明」と彼らが常日頃から世界に誇る数千年の歴史を持つ中華文明の「文明」とでは、同じというわけでもないだろう。「便が済んだら水で流し、高い素質を体現せよ」と、「高い素質」を求めたものもあった。これをいいかえると、公衆便所利用者は「文明」も「高い素質」も持ち合わせていないということか。
たかが便所での作法である。文明やら高い素質なんぞと大仰に過ぎるとも思うが、そこは中国の公衆便所にしては珍しくアンモニア臭が強烈に鼻を衝くことはなく清潔だった。ということは、ステッカーの”警句”が徹底している・・・まさか。新築のようだから使用頻度も少なく、それだけ建物全体にアンモニア臭がこびりついてはいないのだろう。
その昔、上海で芝居小屋を訪れた芥川龍之介は猥雑・騒然とした様子に戸惑いを隠さなかったが、やはり中国を楽しむには、ある種の図太い無神経さが必要不可欠なのだ。かくて昭和を代表する中国文学者の青木正児の呟き――「韮菜と蒜とは、利己主義にして楽天的なる中国人の国民性を最もよく表わせる食物なり。己れこれを食えば香ばしくして旨くてたまらず、己れ食らわずして人の食いたる側に居れば鼻もちならず。しかれども人の迷惑を気にして居てはこの美味は享楽し得られず」(『江南春』)という境地に逢着する。
とはいうものの改革・開放以後、多くの外国人が中国を観光し少なからざる中国人が海外旅行を楽しむようになり、国の内外を問わず「利己主義にして楽天的なる中国人の国民性」のままの立ち居振る舞いを押し通されたら堪ったもんじゃない。さすがに当局も、その辺を少しは気にしているらしい。というのも、山海関で「中国公民国内旅游文明行為公約」と「中国公民出境旅游文明行為指南」なる一対の看板を見かけたからだ。
さて前者の「文明行為公約」では、先ず「文明的観光客であることは我々の義務である」と宣言した上で、ツバや口の中のものを吐くな、当たり構わず騒ぐな、公共の場所で大声を上げるな、列を乱すな、芝生を踏み荒らすな、木々の枝を折るな、公共の設備を壊すな、水や電気を浪費するな、衣服は清潔にせよ、女性には礼節をもって応対せよ、外国人観光客に一緒のスナップ写真を強要するな」など数多くの「べからず」を掲げ、多くの外国客が訪れる国際観光地での見苦しい姿を晒してはいけません、と教え諭すことになる。
一方の「文明行為指南」は外国人にバカにされるな。海外旅行で外国人から顰蹙を買うな。そんな親切心からだろうか、覚え易いように4字句で書かれている。「中国公民、出境旅游:注意礼儀、保持尊厳」と語りだし、以後は「講究衛生、愛護環境:衣着得体、請勿喧嘩。尊老愛幼、助人爲楽:女士優先、礼貌謙譲。出行弁事、遵守時間:排隊有序、不越黄線。文明住宿、不損用品:安静用餐、請勿浪費。健康娯楽、有益身心:賭博色情、堅决拒絶。参観游覧、遵守規程:習俗禁忌、切勿冒犯。遇有疑難、咨詢領館」と続き、最後を「文明出行、一路平安」と結ぶが、これを拳拳服膺する「中国公民」は少数派だろう。
「公約」と「指南」の裏側に「利己主義にして楽天的なる中国人の国民性」が浮かぶが、確かに「人の迷惑を気にして居ては」やってはいられないことばかりだ。(この項、続く) 《QED》
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