|
【知道中国 263回】〇九・八・初四
愛国教育基地探訪(20)
―彼は“絶滅危惧種”の北京っ子だった |
|
古北口を後に北京に向かって南下し暫く進むと、進行方向右手の道路沿いに魚介料理の店が次々に現れる。密雲水庫で捕れる新鮮な川魚類を調理して食わせるといった趣向だろう。櫓を組んで水面に張り出した野趣あふれる風情の店も見られるが、肝心の水は遥か遠方に後退し赤土の広大な湖底を無残にむき出したまま。閑古鳥が鳴き、商売になるわけがない。北京市民の巨大な水ガメの密雲水庫は、極論するなら水たまり程度に縮んでいた。
さらに南下すると、いよいよ北京市内。ともかくも見渡す限りが高層マンション。建設現場のクレーンも数知れず。いつか知らぬ間に交通ラッシュ。それを抜けると左手に、花火が元で全焼してしまった奇抜なデザインの中央電視台ビルの無残な姿が目に留まる。やがて右折して車は北京の中央を東西に奔る長安街へ。天安門広場の少し手前を右に折れてホテルへ。と、ホテルの隣は古くから北京の繁華街で知られる王府井に面した中華書店だ。
ホテルでは北京生まれの若い戯迷(しばいくるい)仲間が待っていてくれた。そこで直ちに腹拵え。王府井の屋台で食べたのが、サソリと蝉のから揚げ。どちらも5匹ほどが竹串に刺されているのだが、先頭のサソリは生きたまま。それを油で揚げてもらって口に。子供の頃に食べたサナギの味を思い出した。腹の足しにはならないが、急き立てられるように京劇のメッカで知られる長安大戯院へ。じつは「十大流派 十位新人」と銘打って名優たちの孫世代や至芸の継承者たち――京劇の明日を担う若手の競演の最終日だった。
大戯院の木戸の辺りで、380元の入場券を200元でどうだと、ダフ屋から声を掛けられる。安すぎるからニセかも知れない。なら、持って行って入ってみろ。じゃあ入れたら後で料金を払うということに・・・無事、舞台から2列目の席に座る。お茶と菓子がでる。それではと、若き友人がダフ屋への支払いに席を離れる。面子と信用である。なんとも面白い取引だ。客席最前列の特等席。右も左も本格的戯迷といった風情。生半可な芸では驚きませんよ、といった顔つきの方々が陣取っている。さぞ、若手役者はやり難いだろうに。
本場の舞台を7時から10時まで堪能して外に出る。家路を急ぐ客が多くてタクシーが拾えない。と、大戯院横の暗がりにタクシーが1台。中は真っ暗。暫くすると運転手が戻ってきた。そこで乗り込む。聞きもしないのに彼は話し出す。お客さんも京劇の帰りかい。そうだと応えると、どうっだったい今日の舞台は――ここらあたりから口角泡を飛ばす辛辣な劇評が、機関銃のように彼の口から迸る。あいつは爺さんには到底及びませんね。こいつの芸は未熟すぎる。だいいち喉がなっちゃあいねえ。いえねッお客さん、商売そっちのけで今度の公演に入れあげた。そいで連日出かけたって寸法で、水揚げの少ねえこと少ねえこと。こう話しながら左手に握った紙幣をこちらの鼻先へ。おいおい安全運転優先だよと半畳を入れようと思ったが、あまりの剣幕に、出かかった注意も引っ込んでしまう。
車は長安街を西に。「今年の国慶節は久々に軍事パレードが行われるので、いま準備中」と窓の外を指して友人が語る。運転手の京劇への熱情溢れる大劇評は途切れる様子を微塵もみせない。やがて車はホテルの前に。友人が支払おうとすると、「細けえのはねえかい」。小銭の持ち合わせがない。「こっちだけでいいや」と、メーター表示より少ない紙幣だけを掴んで走り去った。今時の北京にも、キップのいい戯迷がまだいたんです。(この項、続く) 《QED》
|
|
|