【知道中国 278回】〇九・九・十
―後藤朝太郎・・・恐るべし、畏るべし


     『増補 支那行脚記』(後藤朝太郎 萬里閣書房 昭和2年)

 「端的に云へば支那の政治外交、経済歴史、傳記稗史などの如きものはその記述文章を實際あつた事實に比べて見たならば二重、三重、四重のからくり、手加減、修飾、曲筆の魂膽によつて變化された者であると斷じても差し支えないのである。して見るとかの孔子時代の社會道徳などもこれを論語に比べてどんなに隔たりのあつたものかは大抵想像するに難からぬのである」と、のっけから著者は挑発的だ。

 当時、「その記述文章」に基づいての中国研究を専らにしていた「支那学者」からしてみれば、後藤の主張は暴論以外のなにものでもなかったはず。なにせ、彼らが拠って立つ「その記述文章」が「事實に比べて見たならば二重、三重、四重のからくり、手加減、修飾、曲筆の魂膽によつて變化された者であると斷じても差し支えない」とまで断言されてしまったのだから。後藤にいわせれば、支那学者なんぞは「烏と鷺」の区別すらつかない胡乱な人種ということになる。これでは立つ瀬がないから、学者としては徹底して論破するか無視するかしかない。かくて後藤は黙殺されるが、一向に意に介さない。「現在の中華民国に遊び」、事実に拠って自説の正しさを明らかにしてみせてやる・・・泰然自若・意気軒昂。

 「社會事實、民族文化の現はれかたを見るに、單なる宣傳文章や單なる通信電報によつてのみ日本で鵜呑み的に見てゐるのと、實地に現場へ自ら踏み込んで見てゐるのとは大抵の場合非常な懸隔がある」。「又その實地の踏査にしても短時日の間にいきなり衙門に總司令や大元帥を訪ね一寸あつてその意見を叩いて見たきりで歸る匇々それをさも四億萬の支那人の輿論でもあるかのやうに傳へる傾がある」。だから「この流儀で以て日本人を誤らしめたその罪は許しがたい者がある」と結論づける。じつは「支那の文化は常に民衆本位の觀方をしてゐなかつたならば曳いて忽ち日本國民の安危に」関ってくる。だから「若し單なる文獻の美、單なる大官の言のみを信じてゐるやうでは却つて事實の眞相を誤らせることになる」。そこで「表面の文章を逆讀し大官の言の裏手を考へ、そして支那人の文化生活そのものに直面して而かも決して硬くならず、自然の情味と飄逸味を會得し、そして輕くその平凡不用意の日常生活の間に却つて裏面の深刻なる眞相を摑むといふやうに努めなくては嘘である」という考えに繋がるわけだ。

 この本は、以上の考えに立つ著者が「多年支那各省の都城から山郭水村の間を、或は飄然孤客として」旅したなかで得られた「支那人の社會生活や經濟生活並に家庭生活といつた方面に見出された現代文化の推移に就き、その興味ある部分の話を體驗のまゝ打ち割つて平易に叙述」したものだが、現地での体験と観察から導き出される指摘は鋭い。たとえば政治活動・社会変革においては「恐らく支那では宣傳そのものが資本よりも勞力よりも事をなすに當たり一番有力な基礎的條件となつてゐる」と語った後、「而かもかれらはこの宣傳口號の為めにはその言の如く實際にやつて行くのである。それでこそそこに權威がついてくるわけである」と、中国社会における宣伝の重要性を説く。だから「宣傳の事にかけては世界で一番下手なる日本人」による「たゞその紋切り型に日支親善とかなんとか空念佛見たやうな力なき文字を並べてゐる丈で」は無意味だという。現在にも通ずる至言だ。

 「飄然孤客」を自認した後藤の80年以上も昔の旅は、物見遊山だけではなかった。  《QED》