【知道中国 312回】 〇九・十一・念八
――結局、歴史から何も学ばなかったということでしょう・・・

 『中国政策』(エレン・H・バーネル編 サイマル書房 1969年)

 中国全土を疾風怒濤の渦に巻き込んで激しく展開されていた文革の帰趨が毛沢東派の勝利で定まった頃の1969年1月末、日米政界の要人らはロスアンゼルスに近いサンタ・バーバラで豪雨と嵐の2日間を過ごしながら、「ASIAN DILENMA」(本書の原題)について熱く語り合った。この「サンタ・バーバラ会議」の報告書である本書は「1970年の課題・中国問題の歴史的総括と問題提起」をサブタイトルに掲げ、①中国封じ込め策を冷戦時代の悪しき産物と批判し、②北京政府を国連から締め出す政策を時代錯誤と見做し、日米両政府に両政策の放棄を強い調子で提言している。

 日本側の参加者は藤山愛一郎を団長に、赤城宗徳、宇都宮徳馬、江崎真澄、黒金泰美ら当時の佐藤政権下で反主流派を形成していた自民党AA研究会の中核メンバー。対するアメリカ側はウィリアム民主制度研究センター理事長を団長にフルブライト上院外交委員長、エドワード・ケネディ上院議員など。どうやらサンタ・バーバラ会議は、当時の日米両国の“ハト派”による両国政権――佐藤長期政権とニクソン新政権が進める対中政策に対する批判集会でもあったようだ。

 中国政策とはいうものの、会議参加者を悩ましていた大きな問題はドロ沼に入り込んでしまったヴェトナム戦争だったことはいうまでもないだろう。となると、なにやら過激な統一路線を驀進する馬政権の台湾とドロ沼化への道をひた走るアフガンでの戦争を抱えた現在と、一面では重なってくるようにも思える。新たな「ASIAN DILENMA」ということだろうが、現在の「ASIAN DILENMA」の真の主役が世界の大国への道を脇目も振らず、形振り構わずに驀進する中国であることは、これまたいうまでもない。

 会議参加者は中国を国際社会に参加させるべきという点では一致していたようだが、前提としての台湾問題の取り扱いでは違っていた。台湾独立の困難さを指摘する宇都宮に対し、ケネディ上院議員などは国連における台湾の議席を残しながら台湾独立化=2つの中国政策を推進することが現実的だと主張する。

 ここで興味深いのが、当時の日米間の懸案であった70年の日米安保改定問題と沖縄返還問題をめぐっての議論だ。参加者の1人であるライシャワー教授は「かりに日本から米軍基地がなくなったら、シーレーン防衛のために第7艦隊に代わる程度の兵力は最低限必要だ。だが、そのような行為は中国との間で軍事的対決状態を生み出すだろう」と、日本がアメリカの核の傘の下で日米安保を堅持することの有用性を主張している。いいかえるなら日本は“ポチ”のままでいるべきだ、ということか。

 基本的に感じられることは、当時のヴェトナムが現在のアフガンに代わっただけで、日米両国における「ASIAN DILENMA」の基本構造に大きな変化がみられないばかりか、一向に解決・解消される気配はないように思える。その根本原因を考えるに、やはり中国に対する、殊に日本側参加者の甘い認識にありそうだ。

 「旧中国時代横行した匪賊や強盗は跡を絶ち、軍隊と官吏のわいろ着服、不正は全くなくなった」(宇都宮)とか、「中国の核兵器開発は、攻撃的な目的のものではない」(赤城)とか――“ハト派”による寝言・戯言は、昔も今も問題解決の阻害要因でしかない。  《QED》