【知道中国 324回】 〇九・十二・念二
――中国共産党は永遠にハチャメチャ・・・のようです

 『紀念中国共産党五十周年 1921-1971』(人民出版社 1971年)

 「我が党の名称と我われの掲げるマルクス・レーニン主義の世界観は、我が党の基本綱領が資本主義と一切の搾取階級を徹底して粉砕するものであるということを明確に指し示している。プロレタリア独裁を以ってブルジョワ独裁に変え、社会主義に拠って資本主義に勝利する。共産主義を実現することこそが、党の最終目的だ。(建国以来の)28年間の英雄的な闘いは最終目標に向かっての万里の長征の第一歩でしかなく、プロレタリアによる政権の奪取は革命の収束を意味するものではない。第二歩を踏み出したに過ぎない」そうだが、さても猛々しくて勇ましい啖呵を切るのは、当時の最高理論権威である「人民日報」「紅旗」「解放軍報」の紙誌編輯部の面々である。

 まあ、現状を思えば噴飯モノだが、そこは堪えて、暫く彼らの議論に耳を傾けてみよう。

 社会主義革命は資本主義との闘争を埋葬し全国労働人民の歓呼に迎えられたが、その一方で次々と悪辣な反党策動に巻き込まれる。たとえば、「彭徳懐、高崗、鐃漱石らは反党連盟を結成し党中央の分裂を画策し、プロレタリ独裁の転覆を狙った。だが彼らの陰謀は党中央の時宜を得た適切な処理によって粉砕された」

 とはいうが、敵もさるもの。そう簡単には引き下がらない。一難去って、また一難と波状攻撃が続き、最大の難敵であり「一貫して社会主義改造に反対してきた」劉少奇が遂に正体を顕わし、党との最終決戦の火蓋が切って落とされた。文化大革命である。

 この本に拠れば、劉少奇は「早くも1949年には彼は党中央に背き・・・至るところで『搾取に意義あり』と鼓吹している。50年代初めには『新民主主義秩序を強固に』のスローガンをブチ挙げたが、その意味するところは資本主義勢力を『強固に』して発展させようという代物であり、社会主義革命を推進しようというのではない。資本主義の道を歩もうとするものだ。毛主席はこのスローガンを的確に批判し、ブルジョワ階級の綱領だと告発した」。毛沢東は一連の「輝かしい著作」によって劉少奇一派の掲げる「農業の機械化を実現させて後に合作社化を」「富農を育てよ」という考えの間違いを徹底批判する一方、「広範な貧農下層中農を鼓舞し合作社化による社会主義の積極性を導きだした」。さらには「1955年後半以来の1年ほどの間で、全国5億の農民は社会主義の輝かしき大道を喜び勇んで進んだ。プロレタリアは広大な農村の陣地を確保し、労働者と農民による挟撃でブルジョワ階級を孤立させ、社会主義への改造を受け入れざるをえない立場に追い込んだ」。56年になると「我が国では資本主義商工業と手工業の両部門での所有制において社会主義改造を基本的に実現した」。
このような大変動にもかかわらず、「工業と農業の生産は破壊を受けなかったばかりか発展を重ね、党の過渡期総路線は偉大なる勝利を勝ち取った」のである。

 だが、劉少奇一派の悪辣極まりない悪知恵のタネは尽きない。「毛主席に背き、・・・全党を資本主義の道に引きずり込もうと妄動を続ける」。そこで毛沢東が伝家の宝刀を揮った、というわけだ。かくて「いまや帝国主義は全面崩壊に瀕し、社会主義は全世界で勝利に向かう輝かしい時代となった。共産党が生まれた半世紀昔を思い起こすなら、全世界の革命への情勢は空前の素晴らしさである・・・。偉大なる領袖毛主席万歳、万歳、万々歳」

 当時、こんな形で建党50周年を祝賀したわけです。呵呵大笑・・・おっと、失礼。  《QED》