【知道中国 343回】 十・一・念六
――歴史と伝統の虜囚たち・・・


  『写作漫談』(上海人民出版社 1975年)

 本書の編著者は上海の名門大学で知られる復旦と上海師範の両大学中文系《写作漫談》編写組ということだが、上海という場所と1975年という出版時期から考えて、両大学に巣食っていた四人組の別働隊に違いない。だから本書は文章の書き方を教授するような「穏やかでおしとやか」なものではなく、過激なアジテーションの書き方指南書である。

 巻頭論文の論題は、勇ましくも戦闘的な「革命のために戦闘的な筆を執れ」。かくて「断固として毛主席のプロレタリア階級革命路線に沿って突き進み、プロレタリア独裁を強固にするために革命の大輿論を巻き起こし、歴史を大いに前進させよ」と、初っ端から激しくアジる。次いで「文章を書くこと、文芸を創作することは、古来、特定の階級と政治路線に服務してきた。歴史上のありとあらゆる搾取階級は例外なく自らの著作と輿論とを道具にして、自らの階級の利益と政治路線のために努めてきた」。孔子はその著作によって「封建奴隷制度を維持・復辟するために反革命の輿論をでっち上げた」。「ブルジョワ階級の野心家で陰謀家の林彪は、著作という陣地を極めて重視し・・・『輿論という道具を掌握し、政治攻勢を展開せよ』と呼びかけ・・・党の権力を奪い取り、資本主義の復辟を目指し、狂ったようにして反革命の輿論を巻き起こした」と、力説してみせる。

 そして一転して、我われの進める著作という作業は「一切の搾取階級とは全く違いプロレタリア階級の政治に服務し、労働者・農民・兵士に服務し、社会主義に服務する。要するにプロレタリア階級の革命路線に服務し、プロレタリア独裁を強固にするために服務する」と、大見得を切った。待ってましたダイトウリョウ。タップリ。

 かくして実例を挙げながら、政敵批判論文、調査報告、評論、詩歌、散文、小説、戯曲など、ありとあらゆる革命的な文章の書き方やら修辞法を伝授してくれるのである。

 たとえば封建中国の悲惨さを表現するには、グダグダと書き連ねる必要もないし、また古典を引用した典雅な表現では却って逆効果を招きかねない。肝心なのは我われの主張を人民大衆の心に深く刻みつけることだ。「口にするのは豚や犬のエサ、生活ぶりは家畜並み」「汗水垂らすは地主の田畑、涙を流すはボロ家の竈の前」「貧乏人の頭に振り被さる二本の刀。重い年貢に高い利子」と、人民の生活体験に沿った表現をすれば、それだけ人民の胸にストンと落ち、理解を得やすい。(「向人民群衆学習語言」)

 重要なのは文章の結びだ。「我われの文章は人民を団結させ、人民を教育し、敵を打ち破り、敵を消滅させるためのもの」。だから「文章の戦闘力を強化するために文章のむすびは・・・いわんとするところを鮮明に突出させたうえに、力に溢れたものでなければならない」と、魯迅の作品などを例に引きながら熱っぽく解説してみせる。
(「最後的冲刺激」)

 本書を読み終わって思い出したのは、中国における先駆的な文芸批評書といわれる『文選』に収められた魏の文帝・曹丕(在位は220年から226年)の一文だ。曰く「文章は経国の大業、不朽の盛事。年寿は時有りて尽き、栄楽は其の身に止まる。二者は必至の常期あり、未だ文章の無窮なるに如かず」。

 「文章は経国の大業、不朽の盛事」なる考えを、なんと伝統を否定した四人組やその亜流も伝統をシッカリと継承していた。カクメイ的伝統頼み。お笑い種の漫談である。  《QED》