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【知道中国 352回】十・二・仲三
――アンタは本当にエラカッタ |
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『夜航石頭沙』(上海港工人業余写作組 上海人民出版社 1970年)
秋も深まった一夜、長江の河口を白波を蹴立て進む航標五号は、やがて崇明島の北部海岸に碇を下ろした。静まり返った船内では、その日の作業を終えた党支部副書記の程志敏が、いつものように灯火の下で一心不乱に毛沢東の著作を学習している。と、そこに「近くの呉淞口に停泊中の外国船が折からの強風に座礁し船体破断の危機。大至急救援に向かうべし」との緊急電報が。早速、乗組員全員が非常呼集され、幹部からの命令を待つ。
呉淞口は上海港の喉元に位置するだけに、事態を早急に収拾できなかった場合、多くの船舶の航行にとって障害となるばかりか、「中国革命と世界革命とに大きな損失をもたらす」と程志敏は考えた。救難作業を急行すべきだが、安全な通常航路を航行していたのでは現場到着は明日の明け方にズレ込んでしまう。最短航路の石頭沙水路を抜けることを提案したが、そこは穏やかな天候でも航行が容易ではない難所中の難所だった。
程志敏の提案を傍で聞いていた「反動技術“権威”」の船長は飛び上がって驚き、「石頭沙では解放前も海難事故が数限りなく発生したではないか。夜間航行など滅相もない。絶対に不可能だ」と主張する。
そこで程志敏はスックと立ち上がり、「石頭沙の夜間航行が難しいことは先刻承知。
だが我われ共産党人には、毛主席の支持がある。これが難しい、アレは出来ないなどと弱音は吐かない。たとえ刀の山であれ、猛火の海であれ、飛び込んでみせるのだ」と敢然と言い放つ。と、その場の誰もが程志敏の手を固く握る・・・まあ「みんなでやろうゼ」ですネ。
じつは程志敏は超人的な努力で最下級の船員から現在の地位を築き上げたのだ。「旧社会で母と2人の兄弟は敵の醜い刀によって惨死させられた。共産党、毛主席がプロレタリア革命を領導してくれたことで暗雲を払い明るい太陽をみることが出来た。
『毛主席がいなかったら、程志敏の今日はありえない』」と心の中で叫びつつ、全員に情況を説明し任務遂行を求める。60人の乗組員の心は一つに。航標五号は暴風雨の中を現場目指して碇を上げた。
水路は狭く、浅瀬や岩礁が続く。風雨は増すばかり。この時、甲板に立った「程志敏と同志たちが偉大なる領袖・毛主席の『我われと全人民とが団結し共同して努力すれば、あらゆる困難を押しのけ勝利という目的に到達できるのだ』との教えを心にシッカリと刻んだ」。天候はいよいよ荒れ、航標五号の行く手を遮る。その時、程志敏の脳裏に「偉大なる領袖の教え」が・・・「勇敢なる戦闘精神を発揮せよ。犠牲を恐れるな。疲れを恐れず連続作戦の作風を発揮せよ。短期間に休むことなく波状攻撃で戦い抜け」
やがて現場に到着。沈没寸前の船から乗組員を救助し、任務は完了した。そこで程志敏は「この軍隊は前例なき精神を秘めている。敵の一切を圧倒し、断固として敵に屈服しないのだ」との毛語録の一節を声高らかに読み上げた。カッコいいなあ。
かくして「キラキラと光り輝く金波銀波を蹴立てて、程志敏と同志たちが操舵する航標五号は革命の航路を勇敢に前進するのでありました」――程志敏英雄物語は、一先ずここらで読み切りと致します。パチパチパチパチ・・・。
この本も文革期に出版された夥しい数の毛沢東式模範英雄の予定調和物語だが、「革命の航路」は何処に向かって延びていたのか。視界不良で蛇行に迷走。かくて革命座礁? 《QED》
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