【知道中国 353回】 十・二・仲六
――地縁で結ばれる香港の新田村とロンドンのチャイナタウン

  『移民と宗族』(J・ワトソン 阿吽社 1995年)

 香港在住時、二日酔いの頭に新鮮な空気を注入しようと林村、粉嶺、大埔など新界の農村地帯を歩き回ったものだ。天を突くような高層建築が立ち並ぶ喧騒と雑踏の香港にも、南中国の農村の営みがあり、長閑な暮らしがあった。かつて中国での実地調査が許されなかった時代、新界の農村は欧米の文化人類学者にとって南中国の農村構造を解明するための唯一といってもいい格好の研究現場だった。この本は、そんな研究から生まれている。

 周囲に田や畑が広がる元朗の街も、二日酔いの頭でよく歩いたものだ。商店と商店の間の路地を抜け、トラック改造のバスで農道を中国との境界を流れる深圳河に向かって進むと、文氏一族の住む新田村に。新田という名前からして、ここが新しく開けた村であることは判る。面白いことに、この村の住人の大部分はロンドンにあるチャイナタウンに親戚を持っていた。現にロンドンで稼いだ財産で悠々自適に暮らす者もいれば、一時帰郷者もいる。肉親や友人を頼ってロンドンに出かけ一旗上げようと考えている者も少なくなかった。いいかえるなら、ロンドンのチャイナタウンは“第2の新田村”ということになる。後年、ロンドンで知り合ったチャイナタウンの住人は、確かに新田村の文氏の一族だった。

 第2次大戦が終わり50年代に入り英国の経済が上向き始めた頃、英国人も些かの贅沢を味わいたくなる。文氏一族にとっての転機だった。広東省汕頭から移動してきた新参農民だっただけに、彼らに豊かな土地が与えられるわけもない。高い収穫量が見込める肥えた土地は他の先住一族のものだったからだ。街で働こうにも、職場は地縁・血縁の網で固められていて、付け入る隙間も無い。“ないない尽くし”の文氏一族は、ロンドンのチャイナタウンでの中華レストラン経営に一族の命運を賭けた。しょせん相手は海賊の子孫だ。微妙な味が判る訳がない。新田の農民が作ったチャーハンだって立派な中華料理だ。農民が作る無骨な料理だって、単調な味のフライド・フィッシュより数段も豪華で美味いはずだ。

 かくて新田の農民が作った料理が評判となり、豊かになったイギリス人が中華の味を求めてチャイナタウンの中華レストランに押し寄せる。不足する働き手の供給元は、新田村の親族だった。つまり「大部分の者たちは親族のネットワークに就職の斡旋を依存」しているわけであり、「新田から新たに出稼ぎ移住する者にとっては、英国全体の都市の要所要所に宗族仲間のネットワークが隈なく張り巡らされているので、文氏の経営する料理店で人手不足が生じた時」、店のオヤジは新田村に住む宗族、つまり一族の仲間に対し労働証明書を発行し、英国に呼び寄せるのであった。このような行動様式の根底には、地縁なり血縁で結ばれた《自己人(なかま)》しか信用できない、あるいは信用しようとしない人間関係が牢固として存在する。もちろん、それは彼ら民族の歴史が培ったものだが。

 とどのつまり文氏一族がロンドンのチャイナタウンを中心に英国全体の中華レストラン業界を独占する。中国の内側であれ海外であれ、移り住んだ先で漢民族が生きていくことができるのは、血縁(文氏)と地縁(新田村)と業縁(英国の中華レストラン)とが強固に合体した相互扶助組織があるからこそ、なのだ

 いまや世界中に無数の相互扶助組織が展開し海外進出を支え、彼らの手前勝手な振る舞いを許しているのだ。この本は、彼らの民族移動のカラクリを解き明かしてくれる。  《QED》