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【知道中国 356回】 十・二・念三
――彼我の違いの根底にあるものは・・・いったい何なんだ |
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『シュリーマン旅行記 清国・日本』(H・シュリーマン 講談社学術文庫 1998年)
1871年にトロイア遺跡を発掘したシュリーマンは、それより6年前の1865年5月には北京の北方に位置する「古北口=満洲国境」に立っていた。北京にとって返し、天津を経て上海に向かう。
6月の半ばには八王子に遊び、幕藩体制が崩壊を迎えつつあった江戸で3ヶ月ほど過ごした後、太平洋を東に去る。彼は“江戸の夕映え“に何を体感したのか。
この本は、その折の旅行記である。考古学者の偏見なき視線と執拗なまでの探究心は、当時の中国と日本の違いを見事に描き出す。因みに■は中国、▲は日本についての記述。
■ほとんどどの通りにも、半ば或いは完全に崩れた家が見られる。ごみ屑、残滓、なんでもかんでも道路に捨てるので、あちこちに山や谷ができている。
■どこへ行っても、陽光を遮り、呼吸を苦しくさせるひどい埃に襲われ、まったくの裸か惨めなぼろをまとっただけの乞食につきまとわれる。・・・彼らは痩せこけた手を天に上げながら、跪いて額を地にこすりつけ、大声で施物をねだる。胸が引き裂かれるような思いがしたが、私には彼らの苦痛を軽減してやることができない。
■全裸同然の屑屋をよくみかける。・・・また、ぞっとする光景だが、飢えた犬の群が糞集めの人夫たちの目を盗んで、自分の糞や馬糞をむさぼり食っている。
■シナ人たちは生来賭事が好きなので、どの通りにも賭博場があり、さらに戸外でもさまざまな小胴元が賭場を張っていて、そのどれにも男たちが群がっている。昼間は小金さえも出し渋るおとなしい小商人が、夜になると賭博場で数千ピアストルをすって、しかもまったく動じない。
■シナ人は偏執的なまでに賭事が好きであり、貧しい労働者でも、ただ同然で食事にありつけるかもしれないというはかない望みに賭けて、自分の食い扶持の二倍ないしは四倍の金をすってしまう危険をもものともしない。
▲家々の奥の方にはかならず、花が咲いていて、低く刈り込まれた木でふちどられた小さな庭が見える。日本人はみんな園芸愛好家である。日本の家はおしなべて清潔さのお手本となるだろう。
▲日本人が世界でいちばん清潔な国民であることには異論の余地がない。どんなに貧しい人でも、少なくとも日に一度は、町のいたるところにある公衆浴場に通っている。
▲大理石をふんだんに使い、ごてごてと飾りたてた中国の寺は、きわめて不潔で、しかも退廃的だったから、嫌悪感しか感じなかったものだが、日本の寺々は、鄙びたといっていいほどに簡素な風情であるが、秩序が息づき、ねんごろな手入れの跡も窺われ、聖域を訪れるたびに私は大きな歓びをおぼえた。
▲(寺の)どの窓も清潔で、桟には埃ひとつない。障子は裂け目のない白紙がしわ一つなく張られている。僧侶たちといえば、老僧も小坊主も親切さとこのうえない清潔さがきわだっていて、無礼、尊大、下劣で汚らしいシナの坊主たちとは好対照をなしている。
多言は不要だ。考古学者の目は混乱と秩序、雑踏と静謐、汚濁と清潔、冗漫と簡素、怠惰と誠実、退廃と清新、無礼と親切、尊大と誠意、狡猾と純朴とをシカと見分けた。「同文同種」「一衣帯水」がヨタ話でしかないことを、シュリーマンが語っている。 《QED》
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