【知道中国 360回】 十・三・初四
――《闘争の詩》は無惨なまでに陳腐だった


 『放歌長城嶺』(李学鰲 人民文学出版社 1972年)

 「必ずや、このうえなく真剣にマルクス・レーニンの書籍と毛主席の著作を学び、毛主席の革命文芸路線を堅持し、江青同志が手ずから育てあげた革命現代京劇模範劇の経験を三大革命闘争を実践する過程で学び継続し、路線闘争に対する自分の覚悟と芸術上の表現能力を休むことなく高め、永遠に大衆と共に在り、広範な労働者・農民・兵士が求める作品の創作に努め、プロレタリア文芸事業の発展のために新たなる貢献をなす」――このような堅い決意を党に対して健気にも誓った著者は、17編に及ぶ闘争の詩を唱いあげる。

 ここでいう「三大革命闘争」とは文化大革命時に金科玉条の如くに叫ばれた主張で、「三つの実践」である生産闘争・階級闘争・化学実験と通して「都市と農村」「肉体労働と精神労働」「労働者と農民」という「三大差異」を解消しようというもの。

 著者の誓いは“言うは易く行うは難し”の典型だろう。とはいえ忘れもしないが、文革当時の中国では、この種の常套句が横行していたことは確かだ。だが誰もが口にするということは、誰もが真剣には考えてはいなかったということだろう。それはともかく、「広範な労働者・農民・兵士が求める作品」の一部を試みに訳してみよう。

 冒頭に置かれ書名になった「放歌長城嶺」は、「長城のうえを春風がかーるく吹き抜け/長城の根元では滾々と湧きだす泉が波をうつ/長城の峰々を音を立ててトロッコが行き交い/呻りをあげるパワーシャベルが山の半分を切り崩してゆく/長城嶺の登山口に立って熱気溢れる鉱区を前にすると/鉱区の隊長が語りだす/心はいよいよ熱く/思いはますます募るのみ」と唱いだされる。それにしても俗に過ぎたコトバばかりで、心に響かない。

 次いで「なにもいうまい/巨大で強大な建築物の万里長城/その偉大さ/その魂/夙に世界に知られ/人々の心に深く刻まれる/我が偉大なる中華民族を象徴し/我が五千年の文明古国を象徴する」と民族と長城を讃えた後、「鉱区の隊長」が語る形をとりながら、1958年の大躍進から文化大革命までの間にみられた鉱区の劇的な変貌を唱いあげる。そして「(三大革命闘争における)まさしく無敵な力こそ、毛主席の輝かしき著作/毛沢東思想あればこそ、大地を作り変え山河を改造することができる/毛沢東思想あればこそ、無数の鉱山を切り拓ける/毛沢東思想あればこそ、風雪も虎狼も恐れない」との毛沢東賛歌が続き、「隊長の語る話は、全て考えさせられる/隊長の語る話は、毛主席の革命路線へ捧げられる頌歌だ」で14頁、全350行ほどの「放歌長城嶺」は終わる。全編これヨイショ。

 文革式常套句の羅列は読むほどに腹立たしくもあり滅入り、そして時に抱腹絶倒。「放歌長城嶺」と大同小異の16編のうちには「ヴェトナム解放戦争」がテーマの4編も混じっているが、これが想像に違わず友誼友誼のオンパレードで、歯の浮くような嘘っぱちの連続。たとえば末尾に置かれた「湄公河戦歌(メコンの河辺の闘いの歌)」は、白々しくも「メコンの河辺の英雄的な戦友よ/7億の中国人民は、永遠に君たちの後ろ盾/広大な中国の領土は、永遠に君たちの頼るべき銃後/我われは永遠に肩を並べ共に戦い、そして誓う。アメリカ帝国主義と一切の走狗を地中に徹底して埋葬するのだ」で結ばれる。よく言うよ、だ。

 あの時代、文革も民族解放も政治宣伝と権力追従文学によって極限までに讃美されていた。だから、「広範な労働者・農民・兵士が求める作品」は滑稽なまでに空々しい。  《QED》