【知道中国 369回】 一〇・三・念五
――「親密なる戦友の林彪副主席」は何処へ・・・

 『中越両国人民牢不可破的戦闘団結』(人民出版社 1971年)

 ニコラエ・チャウシェスク書記長夫妻を筆頭とするルーマニアの共産党・政府代表団の訪中から半年ほどを過ぎた1971年11月22日、「我が国の偉大なる領袖、中国共産党中央委員会主席の毛沢東同志は」、中国共産党・政府の招待を受け北京を公式訪問したヴェトナム労働党中央委員会政治委員兼首相のファン・バンドン(因みに漢字で藩文同と綴る)を代表とするヴェトナム労働党・政府代表団と会見している。

 「会見は心からなる極めて友好的な雰囲気の中で進められた。・・・毛主席は前に進み出て向かえ、ファン・バンドン総理・・・と固い握手を交わし、反米闘争の前線からやってきた兄弟であるヴェトナム人民の友好の使者に対し熱烈なる歓迎の意を表した。その際、会場の中越両国の同志たちは高らかに拍手した。毛主席は自ら親しくヴェトナムの同志を手招きし、彼らと共に写真を撮影された」そうだ。

 この本はヴェトナムの党と政府の代表団による1週間余りの公式訪問に関する公式報告、ということになる。であればこそ、半年前のルーマニア代表団の公式訪問記録でもある『中羅両国人民的戦闘友誼万歳』のうちの「羅」の1文字を「越」に置き換えればいいだけのこと。たとえば双方の間で調印された「中国共産党中央委員会、中華人民共和国とヴェトナム労働党中央委員会、ヴェトナム民主共和国政府聯合公報」をみると、

 「中越双方は両国の友好合作強化、アメリカ帝国主義の侵略とそれによって引き起こされたヴェトナムとインドシナの情勢、及び双方が共に関心を持つ問題について会談を行った。・・・ヴェトナム北方の人民は英雄的で断固たる革命精神を発揮し、自力更生を進め、奮戦敢闘し、生産しつつ戦闘し、アメリカ帝国主義の破壊的戦争を打ち負かすのみならず、社会主義建設事業において出色の成果を納めるだけでなく、南方の骨肉で繋がる同胞を力強く支援し、さらにラオス、カンボジアの戦友に対する国際主義の義務を履行している。

 ヴェトナム人民の抗米救国の戦争は、第二次大戦後における最も激烈で最も持続的な反侵略戦争である。ヴェトナム人民の勝利はアメリカ帝国主義の侵略に対する物心両面の力を大々的に殺ぎ、アメリカの政治・経済・社会の危機を深化させ、抑圧された一切の民族と人民を力強く鼓舞し、全世界の人民のために輝かしき模範となった。

 中国人民はヴェトナム人民のような英雄的戦友を持てたことに、無限の誇りを持つものである。中国人民は英雄的なヴェトナム人民に崇高なる敬意を表す。中国人民はヴェトナム人民の革命精神と戦闘の経験を真摯に学ばなければならない」

 読んでいて気恥ずかしくなるような美辞麗句がエンドレス状態で続き、この本全体を覆っている。まあ、これが当時の社会主義兄弟党・国家の間の一種の“通過儀礼”だから致し方がないが、『中羅両国人民的戦闘友誼万歳』と一ヶ所だけ明確に違っている部分がある。じつは半年前には中国共産党序列第2位だった「親密なる戦友の林彪副主席」への言及が一切見当たらないのだ。まるで林彪という人物が存在してはいなかったかのように。

 じつは林彪は、この年の9月、反毛沢東クーデターに失敗したことから、ソ連への逃亡を図り、モンゴル草原に墜落死したのだ(ということになっている)。一言半句の言及もないのは当たり前。この本も冷酷非情な権力争いの一端を問わず語りに語ってくれる。  《QED》