【知道中国 370回】 一〇・三・念七
――「本當に支那を知らんと欲せば支那の芝居をみるべきである」

 『支那の演劇』(L.C.アーリングトン 畝傍書房 昭和18年)

 原書は満州事変の前年に当たる昭和5(1930)年に上海のKelly and Walsh社から750部で限定出版された”The Chinese Drama”である。日本語に翻訳された本書の初版は2000部。
 増刷されたかどうかは不明だが、戦局がいやましに緊張を増していた非常時であったはずだが、このように一見して道楽趣味に属するような本の出版を果たした関係者の慧眼と努力とを大いに評価すると共に改めて感謝しておこう。あの時期に、中国に対してうろたえることも、中国人に対する眼力が曇ることもなく、まっとうな視線で中国と中国人を見ようと努めていた日本人がいたことに、深甚なる敬意を表したい。

 英国人である著者のL.C.Arlingtonは、「殆んど五十年に亙る支那劇に對する私自身の經驗から、其間、或る時は朝早くから翌日のお晝まで舞臺の『脇』に突つ立つてゐたり、或ひは役者達の間にもぐり込んで、彼らの一擧一動に至るまで一般の觀衆と同じやうに觀察したりし」た結果、「『舞臺の上に居る俳優は氣狂ひで、それを見てゐる觀衆は大馬鹿者』」――(唱戯的是瘋子、看戯的是儍子)」という中国人がよく口にする諺が、「如何に眞理であるかを證明する立場に置かれたことに氣づいた」そうだ。いわば本書は、「五十年に亙る支那劇に對する私自身の經驗」から導き出された「眞理」を「證明」するために書かれたということになる。

 以後、彼は自らが持つ西洋演劇と「五十年に亙る支那劇に對する私自身の經驗から」得られた中国演劇に関する知見を総動員しながら、西洋人に「支那の演劇」を解説し、中国社会における演劇の果たす重要な役割を熱く語る。そして、「支那人は、『演劇は虚飾であり、假面である』と全く正しい名言を吐いてゐる。・・・彼らの方法は模倣的で現實性のものでもなく、常習的に遊戯的なものである。支那人は確かに我々と異なった藝術哲學をもつて居り、我々と異なつた人生哲學を持つてゐる」としつつ、「これは重大な問題であるが、支那の俳優は餘りにも『芝居がかり』であるのが一つの大きな缼點である」と総括する。「支那の俳優」を中国の政治家の置き換えると、確かに彼らは「芝居がかり」が過ぎている。

 ここで著者の中国演劇に対する理解の程度をとやかく批評しても詮ないことだ。肝心なのは、中国人の人生において芝居はどのような意味を持っているか、という点だろう。

 古来、中国人は芝居と人生を重ね合わせ、「天地(よのなか)は大きな芝居小屋」「乾坤(せけん)は百(むすう)の芝居小屋」「天地(せかい)は大きな舞台であり、舞台は小さな天地」とまで表現し、人生と芝居とを結びつけて付き合ってきた。人生なんて所詮は絵空事に満ちた芝居のようなものであり、どこまでが本当で、どこからがウソなのか。人生という旅路は虚と実が綯い交ぜになって虚ろに過ぎ行くものだというのが、彼らの処世観のように思えてくる。だが達観しているわけではない。飽くまでも貪欲に生きようとする。

 そこでこう言い換えることはできないだろうか。「舞臺の上に居る俳優は氣狂ひで、それを見てゐる觀衆は大馬鹿者」であるなら、政治という「舞臺の上に居る」政治家は「氣狂ひで、それを見てゐる」人民は「大馬鹿者」と。人民は「大馬鹿者」を演じることで、「氣狂ひで」ある政治家を冷ややかに見て試す。しょせん中国は、少数の「瘋子」が圧倒的多数の「儍子」をどう騙し踊らせるか。虚々実々の化かし合いの世界なのだ。  《QED》