【知道中国 371回】 一〇・三・三〇
――そうです、党の団結は党の死活問題なんです

 『増強党的団結』(浦江紅 上海人民出版社 1974年)

 この本は、「マルクス主義を実践しブルジョワ階級と一切の搾取階級を完膚なきまでに叩きのめし潰滅させ、プロレタリア階級独裁によってブルジョワ階級の独裁を退場させ、社会主義によって資本主義に勝利し、究極的に共産主義の理想を実現させるためには、我われ共産党人は、なによりも団結を革命的に強化しなければならない」と、断固たる決意をもって書き出されている。なんとも大時代といって笑い飛ばすこともできそうだが、冒頭の数行からある種の矜持と使命感を痛感してしまう。それがナンセンスであったとしても。

 21世紀初頭の現在、はたして何人の「我われ共産党人」が四半世紀ほど昔の「我われ共産党人」が抱いていた緊張感と誇りを・・・どう考えても、共有しているわけがない。

 党の団結を断固として堅持することは偉大なる革命の導き手の一貫した教えであり、正確な政治路線を進む重要な足場であり、革命を勝利に導く最も基本的な条件である。だが、団結はマルクス・レーニン主義と毛沢東思想を基礎にした団結でなければならない。というのも、マルクス・レーニン主義と毛沢東思想が党にとっての団結の思想的基礎でなければならないからだ。民主集中制は組織の団結を保証するものであり、毛主席を頭に戴く党中央こそが、全党団結の核心なのだ。

 正しい党内闘争は党の団結を強化するためには通過しなければならない根本的な道であり、そのためには闘争の哲学を堅持し、「誰が我われの敵であり、誰が我われの友なのか。この問題は革命の主要な問題である」との毛沢東の主張が示しているように、敵と味方の2種の矛盾を明確に分別し、“団結⇒批判⇒団結“の基本方針を貫徹しなければならない。かくして共産党員こそが団結の確固たる模範となり、敢えて時代の潮流に立ち向かう革命精神、「五湖四海(ちきゅう)」のように広く懐深い心、公明正大で高貴溢れる品格、謙虚で謹慎な優れた作風を持たなければならない。

 以上を要するに、「我われ共産党人」はマルクス・レーニン主義と毛沢東思想とを血肉化(嗚呼、なんとも懐かしく青臭い表現だろうか)し、《共産主義的聖人君子》になることによって党の団結は確保され、革命が成就できる――ということだろう。じつに抽象的で回りくどい言い回しだが、直裁に表現するなら、個人的感情を完全に捨て革命のためのマシーンになることが「我われ共産党人」に求められているということだろう。

 この本は、「我われの党員のなかには組織上は入党してはいるが思想上は必ずしも入党しているわけではなく、甚だしい場合は完全に入党してはいない者がいる。この種の思想の上から入党していない党員の頭の中には搾取階級の穢れが多くあり、その世界観は依然としてブルジョワ階級のそれだ。やはり彼らの頭の中には主観主義、セクト主義、さらには正しくない考えが詰まっている。これこそが党の団結に危害を及ぼさないわけがない」と率直に危機感を吐露している。それだけに、この本は崩れ行く四人組主導の共産党にとっての断末魔の叫びだったようにも思えてくる。

 あの超過激な政治の時代ですらこうだ。ならば現在は「完全に入党してはいない」党員も少なくないことだろう。にもかかわらず共産党は崩壊せず、党員は増加の一途。
「完全に入党してはいな」くても、入党さえしていれば美味しい汁を味わえるからですよネ。  《QED》