【知道中国 380回】 一〇・四・仲八
――同文同種などというウソを真顔で口にしてきたヤツは誰だ


  『支那の幌子と風習』(ルヰーズ・クレーン 朝日新聞社 昭和15年)

 満鉄弘報課の井上胤信が翻訳し、朝日新聞の「大陸叢書 第三巻」として出版された本書の原典は、日本では大正から昭和への改元の年に当たる1926年に上海で出版された”China in Sigu and Symbol”である。著者のルヰーズ・クレーン(Louise Crane)女史が中国各地で接し、驚き、興味をもった庶民の生活文化を綴っている。
 どうやら日本と同じく欧米でも、中国と中国人に対する見方は戦前の方が地に足が着いたものであり、正鵠をえていたように思える。

 かつての中国では眼医者は目を、古着屋は古着を、菓子屋は菓子を、酒屋は酒ビンを象った看板を店頭にぶら下げ、通行人に一目で何を商売にしているかが判るようにしていた。この看板を書名の一部になっている「幌子」と呼ぶ。

 著者は「幌子の美しさは、白日の下に晒されてゐる時だといへようか。紺碧の空の、朗らかな陽の光を受け、青、赤、黄はまだしも、金泥と銀泥の極彩色に塗られた幌子は、エトランゼの眼に強く魅力をもつて映ずるのである。そして、誰もが、こヽに遺された風俗と、住民の思想にて深い関聯性があることに氣付くのである」と語る。本書は著者が街を歩き、「エトランゼの眼に強く魅力をもつて映」じ、「住民の思想にて深い関聯性がある」であろう幌子に惹かれて店舗の佇まいを眺め、店内に足を踏み入れ、そこで繰り広げられる庶民生活を観察し、街角の屋台や天秤棒を担いだ売り子の姿を追いながら、庶民の立ち居振る舞いに様々な考察を加え、庶民の生活や考え方を明らかにしようとしたものだ。

 彼女が幌子を目当てに訪ね歩いた店舗は、酒鋪(酒屋)、湯麺舗(うどん屋)、粗飯舗(蒸しパン屋)、麺舗(乾麺屋)、蒸鍋舗(慶祝用菓子屋)、?乾舗(餅屋)、澡堂(風呂屋)、剃頭舗(床屋)、成衣舗(仕立て屋)、質屋、両替屋、薬舗など。くわえて屋台に行商人。

 著者は行く先々で興味深い観察をしている。たとえば広東の街角の魚売りの行商の話。

 天秤棒に振り分けた桶に生きた魚を入れて歩く。客に呼び止められるや、道行く人々は魚の入った桶を取り囲む。と、「魚賣りは釣針に餌をつけてやつた。買手は釣糸を魚桶に垂らすのである。桶の中の魚は、・・・釣針を恐れて桶の縁の方に身をよせてしまふ。見物人の興味は昂つて行くのである」。桶の中には各種の魚が泳いでいる。
客の狙いは50銭の味のいい「大きな赤い魚」。客は「二十銭を出して釣をや」る。足を止めて桶を取り囲んだ道行く人々は、どの魚が釣れるのかを賭けるわけだ。かくて「支那獨特の喧騒が、その横町を包んでしまふのである」

 見物人は自分が賭けた魚が餌に近づくと興奮し、離れると落胆する。結局、客は10銭の不味い魚を釣る。客は10銭の損で魚売りは10銭の儲け。桶を囲んで賭けた人々は儲けた者もいれば損した者もいる。「これで横町の喧騒も一時に静まり、魚賣りは天秤棒を擔いで」、次のカモを求め去る。なんのことはない高い魚には餌をタップリ食わせてあるから、客の針の先の餌など食いつくわけがない。「安い魚は二、三日餌もやらず、餌をやれば眞先に食ひつくやうにして置くとは、如何にも支那人の商賣ではないか」

いかにもセコく愉快な商法だが、これを日中関係に当てはめると、「如何にも支那人の商賣」式外交に日本は翻弄され続けているということだろう。反省・三省・猛省。  《QED》