【知道中国 392回】 一〇・五・仲八
――毛沢東思想に「不」を突きつけた科学解説書


   『物体形状漫談』(李実編著 上海人民出版社 1976年)
 
 これは、なんとも不思議な、いや注目すべき本だ。出版されたのは毛沢東が死去する2ヶ月前の76年7月。当時の常識では、表紙を開いた最初の頁に『毛主席語録』からの引用があってしかるべきだが、それが見当たらない。いや、そればかりでない。全117頁の本文中に、毛沢東の著作からの引用は僅かに3ヶ所。それも著者の主張を補強するのではなく、申し訳け程度に置かれているだけ。

 この本は二等辺三角形と直角三角形の2種の三角定規の形状の説明から説き起こし、2種類の三角定規を様々に組み合わせることで、多種多様な2次元図形が描き出せることを説明した後、ボルトとナット、陸上競技のトラック、高いテレビ塔、パイプ、香取線香、橋梁、パラボラ・アンテナ、桶とコップ、タンクローリーに搭載される楕円タンク、六角形の蜂の巣などを取り上げながら、その形状が如何に合理的なものであるかを高等数学の数式を駆使しながら解説している。もちろん、数学が苦手な読者でも判り易い。

 いわば一種の科学常識解説書である。だが、この時期に出版された同種の本が科学的合理性とは掛け離れ過度に政治的色彩を帯びているだけでなく、自らの主張を正当化する根拠に毛沢東の著作を援用しているのとは際立った違いが感じられるのだ。その原因を考えてみると、冒頭に掲げられた「他の全ての科学と同じように、数学は人間の必要から生まれ、土地の広さの把握と容積の測量から、時間の計算と機器の製造から生み出された学問だ」とのエンゲルスのことばに集約されているように思える。鄧小平が強調した「黒い猫でも白い猫でもネズミを獲る猫がいい猫だ」、つまり「実事求是」である。

 毛沢東思想は「専」より「紅」、つまり専門家(性)を否定し政治的自覚を最重要視した。専門家(性)は社会に支配と被支配の関係を生み、やがて階級社会を復活させ、“偉大な中国革命”を挫折させてしまう。やはり人民の政治的自覚を高め続けることこそが、階級のない平等な社会を実現させる道ということになる。だが、毛路線の結果として生まれた中国は“貧乏人の共同体”でしかなかった。鄧小平は、毛沢東が持った底抜けなまでに徹底した“精神主義”を揶揄し唾棄し、完膚なきまでに否定する。それが白猫・黒猫論だろう。

 著者は本文中に「現実の世界で起こることは複雑であり、様々な要素によって決定される。問題に直面した時、あらゆる方向から考えるべきであり、決して一方向からだけで判断してはならない」とか、「モノの形状は多種多様であり千変万化する。だが、個々の形状というものは実際の必要性に応じて定まるものであり、ある種の人々の頭の中で憶断され造りだされたものでは決してない。労働人民の長期にわたる生産闘争と科学実験からこそ生み出された結晶である」との一文を、さりげなく差し挟む。かくて、「君たち少年読者がそれまで学んだ数学の知識と現実とを関連させ、問題の分析と解決に対する能力を高めることの一助になることを希望する」と、この本の最後を結ぶ。

 少年向けの科学解説書を装いながら、事実を多面的に捉え合理的に判断せよという主張は、毛沢東思想を振りかざす当時の単純・野蛮な政治風土への鋭い批判といえるだろう。編著者の李実が実在の人物かどうか疑わしいだけでなく、やはり名前の「実」にある種の意図が感じられてならない。数年後に到来する鄧小平時代を暗示しているようだ。  《QED》