【知道中国 397回】 一〇・五・三〇
――牽強付会・夜郎自大・牽強付会・暴論満載・笑止万・・・

   『中國民族簡史』(呂振羽 生活・讀書・新知三聯書店 1951年)


 著者の呂振羽(1900年から1980年)は湖南の産。日本の明治大学に学び、北京の民国大学、中国大学で教鞭を執り、中華人民共和国建国後は東北人民大学などで学長を務めた。殷代は原始共産社会の末期だという通説を批判し、すでに奴隷制社会であったと主張して中国古代の社会経済史研究に一時代を築いたことで知られる――というのが人名事典風の無難な表現だろうが、共産党政権の時代も生き抜いたということは、権力の風向きを読むのに長けた人物といったところが正解に近いのではなかろうか。

 冒頭には1948年出版の初版の序が掲げられているが、これがまた噴飯モノ。たとえば、「我われは各民族の法律権利上の平等を達成するだけに止まらず、些かの瑕疵もない平等を達成してこそ、統一した人類として融合するに至るのだ」と。こうなると歴史研究ではなく、歴史研究を騙った政治的アジテーション、あるいは出来もしない夢というものだろう。どだい「統一した人類」などという寝言をいうために研究などする必要はない。いや、苦労の果てに得られた結論と広言するのなら、そんな苦労は無駄だといっておこう。はっきりいって戯言を書き連ねたスターリンの民族主義論の焼き直し、いや中国版拡大再生産でしかない。まあ、その真意は新しい権力者である共産党への迎合、諂い、ヨイショ。

 初版が出版された48年という年を考えれば、国共内戦の帰趨は事実上決定し、共産党政権の成立は近い将来の事実となりつつあった。社会主義陣営においてスターリンは絶対無謬の“偉大なる指導者”となって君臨する。ならば、ここらで持ち上げておくのが生きるうえでの得策、いや学者ショーバイ(略して学商)の常道というところだろう。かくて序は「民族問題に関するレーニン・スターリンの学説を援用して、我われの現実的で具体的な情況、現実的闘争の任務と結合させることこそが、我われの行動の指針である。毛沢東主席の民族問題に対する考えとは、つまり中国の具体的情況、具体的闘争任務とレーニン・スターリン学説を結合させることだ」と結ばれる。
そら恐ろしく、無責任極まりなし。

 本論に移って著者は「中国民族民主革命段階において解決しなければならない主な国内問題は、土地問題と民族問題だ」と大上段に振りかぶり、「中国人種の起源」から説き起こすのはいいが、のっけから「漢族は世界における一大民族であり、過去の100年余りは弱体民族ではあったが、人類の優秀な一部分であるこつは否定しえない。中国民族が侵略者に対し善く戦っていたなら、侵略者が与える圧迫と痛苦はより善く取り除くことが出来たはず。これは疑いの余地のない真理だ。かくて漢族は中国民族の中で指導的位置を占めると共にその根幹であることもまた、紛うことなき事実である」と。身勝手、極まれり。

 以後、各民族について詳細に解説しているが、「内モンゴルは中国域内の遅れた地域である」との発言が象徴するように、漢族至上主義イデオロギーが横溢している。どんな史料を持ち出そうが、バカの一つ覚え。つまり漢族による少数民族駆逐を中国民族拡大の歴史だと主張する。また、少数民族駆逐という蛮行を漢族の生存空間拡大のために許される当然の行為だといってのける一方で、それが封建圧制に苦しむ少数民族を救う正義の闘いだと主張する。漢族中心のデタラメであり詭弁だ。いやはや、開いた口が塞がらない。

 度し難い漢族至上主義史観で貫かれた稀代の奇書、つまりは“トンデモ本”だ。 《QED》