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【知道中国 421回】 一〇・七・念五
――読者を舐めたら・・・いいわけないよなッ
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『毛沢東(上下)』(フィリップ・ショート 白水社 2010年)
BBC放送でアジア地区担当を経験したジャーナリストである著者は、2008年に同じ白水社から同じ訳者による『ポル・ポト』を出版している。本文が686頁、脚注その他が207頁で全900頁ほどの分厚い本に相応しく、膨大な資料に基づいて謎多きポル・ポトの一生を細大漏らさず調べ上げている。「ある人生」という副題を付し上下に分かれたこの本もまた、同じようにブ厚く重く、本文が900頁余で脚注・索引などが260頁余。上下2冊の総計が1200頁ほど。先ずは巨冊と表現するほかなさそうな労作、といっておこう。
帯封に拠れば上巻では「誕生から共産党創立、長征まで」を、下巻では「抗日から文化大革命、死後まで」を扱い、全体として「(毛沢東の)成長と変化を丹念にたどり、思想の変遷、世界情勢の中にも位置づけて描く。新資料と綿密な取材を基に、偏見や扇情を排し、二十世紀の巨人の実像に迫る!」とのことだ。
さらに「訳者あとがき」では『中国の赤い星』(エドガー・スノー)、『毛沢東伝 一八九三~一九四九』(金冲及)、『毛沢東』(竹内実)、『毛沢東』(スペンス)、『毛沢東と周恩来』(矢吹晋)、『マオ』(チアン&ハリディ)など現時点で入手可能な内外の代表的毛沢東伝記・評伝を俎上に挙げて批判した後、「これらの伝記や評伝と比べたとき、本書の毛沢東伝としての位置づけはごく単純なものとなる。まずは、詳しいこと。次に誕生から死後までをきちんと網羅していること。そして特定の立場に偏っていないこと。その意味でも、本書は毛沢東理解のベースとして使える本だと考える」と語る。その高揚した物言いに訳者の大いなる自負を読み取れるが、率直にいわせてもらえば夜郎自大で唯我独尊的訳文だ。原著者の努力が水の泡であり、その主張も誤解されがち。気になった誤りを例示すると、
第1に、訳者が地名や人名に振っているカタカナのルビが杜撰に過ぎるのだ。たとえばローマ字のZhで表記されるものを、なぜか「ゾ」「ザ」と表記する。周:Zhouが「ゾウ」(敢えてカタカナ表記すればチョウ)、中:Zhongがゾン(チョン)、張:Zhangがザン(チャン)、趙:Zhaoがザオ(チャオ)、州:Zhouが「ゾウ」(チョウ)。Yanの表記を「ヤン」と読み、延安を「ヤンアン」、譚延闓を「タン・ヤンカイ」と綴る。だがYanと表記してイエンと読ませて、延安はイエンアン。こんなこと、中国語ローマ字表記のイロハだろうに。
第2に1911年の辛亥革命によって誕生した中華民国のトップは大総統であるにもかかわらず、訳者は時に大統領としている。因みに大総統の英訳はPresidentである。
第3に1916年と22年の2期にわたって中華民国大総統を務めた黎元洪を指し、「自分が北京で副大統領になり、やがては台湾で国家元首になるとは予想もしていなかった」と。1928年に死んだ彼自身、まさか「台湾で国家元首になるとは予想もしていなかった」ろう。
第4に「秦の宰相曽国藩」とするが、不注意にも秦:Qinと清:Qingを取り違えている。
第5に、「柴の上に休み臓物を食べている」との訳だが、これは「臥薪嘗胆」の英文意訳を日本語に直訳したことからくる悲しいまでのズレ。無知からくる誤訳、いや迷訳だ。
第6に、老荘思想の荘子を「庄子」と綴る。確かに現在の中国では荘子を庄子と表記するが、やはり日本では依然として荘子としておくべきだ。庄屋さんでもあるまいに――かく間違いは尽きず。上下2冊で5800円+税金。本代の一部でもいい、カネ返せ! 《QED》
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