【知道中国 425回】          一〇・八・初三

     ――これぞ庶民の危機管理・・・だけど些か危なっかしい

     『實用 速成廣東語』(影山巍 文求堂書店 昭和十七年)

 ともかくも広東語は難しい。本書の「凡例」で著者が語っているように、「廣東一省内に行はれる方言數は、實に六十餘種に及ぶとさへ謂はれ、發音もまた省内各處區々にして、而も音有つて文字無く、廣東人に質しても、應答に苦しむもの尠なからず、之が取り扱ひは相當に困難なものである」。だが「旅華二十餘年」の著者は「過去十個年間の研鑽に據りて、廣州の標準語たる『上番禺語』中の最も高尚なる『西關語』を吟味収集し」、この本を編んだ。かくて安齋龜山正夫の序文は、「本書ノ出現ハ祇ニ粤語研究者ヲ裨補スル所アルノミナラズ日支兩國ノ邦交ヲ增進セシムル點ニ於テ亦大イニ益アリト信ズ」と記す。

 じつは広東語の声調は「全支那語中最も複雜にして、・・・合計九聲に分かれて居」るが、「實際の會話をなす場合は、決してこれに囚われるべきものではな」いと考える著者は、実用本位で会話ができるよう、分かり易く簡便な方法で工夫している。

 だが、この本の興味深い点は、そんなところにはない。「旅華二十餘年」の著者が抱く広東人に対する一種の不信感が会話のあちらこちらに顔を覗かせている点こそに、この本の“読み所“があるといえるだろう。たとえば「5.人力車に乘る時」と題する日本人客と広東人車夫との会話をみると(ここでは煩雑になるので、敢えて広東語部分は省いておく)、

(客)俥屋! 太平南路に行くか?

(車夫)行きます。

(客)もう一臺呼んで呉れ。

(客)幾錢か?

(車夫)三十仙です。

(客)出鱈目云ふな、ぎりぎりの所幾錢か?

(車夫)十五仙でどうですか?

(客)十仙やるから、行くなら行くし、行かなけりや止めろ。

(車夫)宜しうござんす、參りませう。

 ここにみえる「仙」は貨幣単位のセントを指す。最初の30セントが15セントになり、交渉の末に、言い値の3分の1の10セントに。以下、「早く走れ。緩り走れ。彼方へ行け。眞直に行け。曲れ。もう少し歩け。中へ這入れ。止まれ。角で止まれ。此處で待つて居れ、買物をするから。幌を上げろ。幌を下せ。着いた。錢をやる」など、客にとって必要最小限度の会話を示す。やがて人力車は目的地に。そこからの会話が興味津々、いやケッサク。

(車夫)あーあ、隨分な路程でした。少し增してください。

(客)ちつと許りの道ぢやないか、增値は無いよ。強請(ゆす)るな。ぐずぐず云うふな。警察へ連れて行くぞ、早く行け。

 「隨分な路程」だったのか。それとも日本人客の足元を見透かしての「強請(ゆす)」りなのか。かくて、この本は「ぐずぐず云うふな。警察へ連れて行くぞ、早く行け」と応ずるべきと教える。だが昔も今も、しょせん会話とは、相手との間合と気合、それに阿吽の呼吸だろう。「早く行」った先の警察で中国人警官が対応したら、さて・・・この本が掲げる「實用」に首を傾げたくなるが、当時の日本人の広東人観を知るには格好の本だ。  《QED》