【知道中国 428回】一〇・八・一〇

  ――ここに中国庶民のユーモア、洒落、皮肉がある

  『歇後語彙編 ――中国の諧謔語』(川瀬正三 明善堂書店 昭和44年)

 歇後とは隠語であり短縮語でもある。前後2つの句で構成され、前の句が後の句の内容を暗示し、あるいは連想させ、ある意味を表現する。北京や上海などを中心に庶民生活のなかで日常的に使われた表現方法――などと説明したところで、実際には乱七八糟(チンプンカンプン)だろう。そこで実例を2つ、3つ。

 たとえば「鉄匠作官(鍛冶屋が役人になる)」の4文字は問答無用を意味する。なぜか。この4文字に続く後の句は「開頭就打(ショッパナから殴る)」。真っ赤な鉄を炉からだすと、なにはともあれひっぱたいて鍛える。これが鍛冶屋の商売であり身についた習性だ。そこで、あいつは「鉄匠作官」といえば、聞いた方は、ああそうか、あいつは四の五のいわせず相手構わずに殴り飛ばすひどいヤツなんだなと、合点がいく。

 次いで「六月裡戴風帽(夏6月に防寒帽を被る)」。後の句は「不識時務」。あいつの言っていることは「六月裡戴風帽」じゃないか。そこで聞く側は、ああそうか「時務(現状)」を識らないんだな。昨今の日本風で表現するなら、あいつはKY(空気が読めない)ということになるだろうか。

 さて、上海地区限定を1つ。「大舞台対過(大舞台の筋向い)」の対句は「天暁得(お天道様はお見通し)」。往時上海には大舞台という名前の庶民の娯楽場があり、その筋向かいに天暁得という看板を掲げる有名店があった。かくて、あいつは誰にも判るわけがないと思って悪事を繰り返すが、ありゃ「大舞台対過」だな。そこで上海の庶民は大舞台の筋向いの店が掲げる天暁得の看板を思い浮かべる・・・お天道様はお見通し。バレバレです。

 著者は歇後語を「文人墨客や文豪の作ではなく、芸能界の某が言い出したとかいう薄っぺらなものでもない。実にその地方の人々に共通な言葉、風俗、習慣、伝説、考え方からそこの大衆に親しまれている小説、芝居はもとより迷信に至るまでの広い分野におけるどれか、あるいはその時代の強い反映を基礎にしているのである。いわば大衆の英知による巧まざる創作ともいえよう」と定義している。これを判り易くいうなら、庶民の日常生活が生んだ洒落でありクスグリということだろう。

 世間をスカし、怒りを躱し、愚痴をクスリと笑い、権威を洒落飛ばす。いわば中国庶民生活の潤滑油でもある歇後語を2000ほど収集し、詳しい解説を施したのが、この本だ。

 「一顧すれば三十余年前、昔風にいえば笈を負うて燕京に遊んだとき」に「歇後語を聞かされ面白いものだと思った」著者は、以来、折にふれ燕都・北京で歇後語関連の資料を集めていたようだ。だが「時局は厳しさを加え遂に終戦、サテ落ちついて本でもと思ったら今度は国府の敗色が日に濃くなって情況一変」。「外国同様不案内の内地生活の数年は夢中で過ごし」、一段落の後、「日本の中国語愛好者に中国語の面白さを是非紹介したいと思い稿を起した」のである。著者が告白しているように、資料整理・原稿執筆から出版までの苦労は並大抵のことではなかっただろう。だが、この本を残してくれたことは中国庶民の心根を知る上で後学には大いなる助けとなっていることは確かだ。感謝不勝。

 そこで海外における中国人の昨今を歇後語で表すと、「六月裡的糞缸(夏6月の肥溜め)」がピッタリ・・・「越掏越臭(汲むほどに臭い)」。評判は悪化の一途ッてことです。  《QED》