【知道中国 429回】一〇・八・仲二

   ――死屍累々、嗚呼、死屍累々、死屍累々・・・

  『20世紀 中国災変図史(上下)』(夏明方ほか 福建教育出版社 2001年)

 7月21日の中国政府の発表によると、6月以降に各地で降った豪雨による死者は701人、行方不明者は347人。8月に入ると甘粛省甘南チベット族自治州で大規模土石流災害が発生し被害者は死者と行方不明者を合わせれば1500人近い大被害だ。

 確かに被害甚大と思えるが、この本の収められた数々の自然災害での被害状況を目にすれば、些か不謹慎な表現だが、最近の被害など鼻クソ程度。さほどまでに20世紀の中国は激烈な自然災害に襲われてきた。いや、あに20世紀のみならんや、である。

 この本が教える20世紀の大災害は、辛亥革命が起こった1911年に発生した長江大水害と満洲での鼠が原因のなった大疫病からはじまり、広東を流れる珠江の大水害(15年)、天津を貫いて渤海湾に注ぐ海河の大氾濫(17年)、華北大飢饉(20年)、甘粛大地震(20年)、黄河と長江の中間地帯を流れる淮河の大水害(21年)、広東省東部に位置する汕頭の高潮の害(22年)、西北と華北の大飢饉(28年から30年)、長江と淮河の大水害(31年)、ハルピンの大水害(32年)、黄河の大洪水(33年)、長江中下流域の大旱魃(34年)、長江と黄河の大水害(35年)、四川の大旱魃(37年)、日本軍の進撃を阻止すべく蒋介石が決定した長江の花園口堤防破壊による大水害(38年)、海河大水害(39年)、中原大飢饉(42年から23年)、広東大飢饉(43年)、広東と広西の大水害(47年)、長江と淮河の大水害(54年)、大躍進失敗による大飢饉(59年から61年)、華北平原に位置する邢台地震(66年)、唐山大地震(76年)、大興安嶺森林火災(87年)、長江と淮河の大水害(91年)、長江流域に寧夏・新疆など西北地域も巻き込んだ大洪水(98年)、台湾大地震(99年)と、まるで気の遠くなるような大災害の連続だ。

 台湾は中国の一部ではないという考えからすれば、99年の台湾大地震は「20世紀 中国災変」に加えるべきではないだろうし、文化大革命を「大動乱の10年」と看做す立場からするなら、文化大革命こそ正真正銘の巨大な「20世紀 中国災変」ということになるはず。

 さて問題は被害情況だが、まさに想像を絶するという形容に相応しい。

 たとえば「草の根は食べ尽くされ、昼に食べ物がなければ子供を殺して食べる被災民あり。夜に寝る場所がなく全員が溺死する一家あり。鬼哭は野に満ち、その数は三十余万に達す」(21年の淮河の大水害に関する新聞報道)

 「飢えた民は初め人目を掠めて死体を盗み、次いで人目を憚らず死体を捌き、遂には幼児や婦女の太腿を塩漬けにし、家にあっては常備食とし、外出に際しては携行食とする。各地当局が旅客を検査するに、常に人の太腿を所持す。これを詰問すれば、『我が婦女子の肢体。もし、これを喰らわねば、また他人の喰らうところとならん』と」(1928年から30年の西北・華北大飢饉に際しての1930年7月の新聞報道)

 「震度=7.8、死者=242,419人、重傷者=164,581人、軽傷者=36万余人・・・都市破壊比率=96%、被害総額=54.48億元」(76年の唐山大地震の被害情況)

 夥しい数の死体は歴史教科書が教えない20世紀中国を語ってくれる。この本では、49年以降は「党と毛主席の支えがあれば、どんな災害にも我われはへこたれない」と強がってみせるが、どだい自然は「党と毛主席の支え」など屁とも思っちゃいませんよ。  《QED》