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【知道中国 442回】 一〇・九・初三
――これが彼らの歴史認識・・・とかく身勝手なものです
『中國』(阿瓦林等 人民出版社 1955年)
この本は漢字音で阿瓦林と綴られるロシア人らによって書かれた『ソ連百科全書』(第2版第21巻)に納められた「中国」の項の翻訳である。百科全書の1項目ながら、漢字の字数では25万3千字、頁数では350頁ほどの分量を持つだけに、当時のクレムリンが中国をどのように“解剖”し、どのように看做しているのか――いいかえるなら、ソ連による中華人民共和国に対する関心度、あるいはインテリジェンスの程度が判ろうというものだ。
ところで、この本が出版された1955年前後の中ソ両国をめぐる情況を振り返ってみると、53年3月にスターリンが死に、56年2月にはフルシチョフによるスターリン批判が行われている。一方、50年6月に勃発した朝鮮戦争は53年7月に休戦協定調印となり、54年9月に開始された人民義勇軍の撤退は58年10月で完了。毛沢東が東側社会主義陣営の優位を高らかに宣言したかの有名な「東風が西風を圧する」と題する演説がモスクワで行われたのが57年11月である。毛沢東のフルシチョフに対する不信感・優越感は芽生えていただろうが、ともあれ“中ソ一枚岩”が内外に強く印象づけられていた情況下での出版だ。
百科全書の解説だけに、国家制度、自然地理概況からはじまり、経済地理、考古学、歴史、武装部隊、政党、中国人民統一戦線、労働運動、中ソ友好協会、出版・放送事業、保健、国民教育、自然科学、技術、哲学、歴史編纂学、言語学、文学、造形芸術、建築、音楽、演劇、映画まで、歴史年表を付し、当時の中国を捉える。とはいうものの、客観的・網羅的を装う記述の端々に当時のクレムリンの中国観が感じられるから、興味津々。
たとえば政党の項では、最初に中国共産党を置いてはいるが、「中国共産党は中国労働者階級の先進部隊であり、中国全体の働く者の領袖であり、人民民主革命にとっての勝利の組織者であり激励者であり、中華人民共和国を領導する力であり指導する力である。中国共産党はロシアの偉大なる10月社会主義革命の勝利の影響を受け、1919年に開始された帝国主義に反対し、封建主義に反対する人民の運動が昂揚した環境のなかで成立した。・・・
中国共産党は組織当初から一貫して偉大なるマルクス・レーニン主義学説によって指導されてきた。・・・国家の民主改革と国家が社会主義に向かう道を発展させ闘争を進める中で、中国共産党はソ連共産党とソ連社会主義が持つ世界史的意義の経験を指針としてきた」とする。そこには、後の「偉大なる領袖・毛沢東」も見当たらないし、ましてや北京の独自性など一切認めてはいない。いや認めるわけがない。身勝手は断固罷りならん、であった。
また朝鮮戦争については、「アメリカ帝国主義者は1950年6月に朝鮮戦争を発動した後、中国に対する直接的な侵略行動をみせ台湾を侵略し占拠した。アメリカの朝鮮に対する武装干渉は朝鮮人民に奴隷化の脅威を与え、さらに中国人民にも同様な脅威を与えた。・・・1950年10月、中華人民共和国の主権を守るべく、中国人民志願軍は身を挺して出撃し、兄弟である朝鮮人民を援助しつつアメリカ侵略者に反対する解放闘争を進めた」と、“捏造された歴史”に基づいた身勝手極まりない言い分が続く。
この本はソ連の徹底したゴ都合主義的記述に満ち溢れているが、それというのも当時の北京がクレムリンの“上から目線”に唯々諾々と従っていたからだろう。この本は、まさに北京がクレムリンのポチであったことを示す鉄の証拠であり、記念碑といえる。 《QED》
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