【知道中国 446回】      一〇・九・仲一

     ――嗚呼、素晴らしき哉、罵詈雑言という文化

     『除四害雑文集』(人民出版社 1977年)

 野心家、陰謀家、流氓、地痞、陰謀狂、整人狂、野心狂、復辟狂、反党集団、害人虫、棍子、特務など、この本には凶々しくも小気味いいほどの罵詈雑言が満ち溢れている。

 「四害」の2文字と1977年という出版時期を考えれば、四害が何を指しているかは、敢えて説明の要はないはず。この本は「人民日報」「解放軍報」「光明日報」「北京日報」など当時の中国を代表するメディアに掲載された四人組批判の「雑文」を集めたもの。論文とは肌合いを異にする雑文という形式だけに、“悪罵文学”とでも呼ぶに相応しい切れのいい文章が躍動している。同時に、それぞれの雑文の書き手が「いざ、極悪至上の悪漢を成敗してくれようぞ」と嬉々として意気込む様が行間に溢れ、なんとも微笑ましい限りだ。

 巻頭を飾る「出版説明」は、「八億人民の心に積もり積もった積年の恨みは、火山のように一気に爆発する。九百六十万平方キロの地上には、『四人組』を攻撃しようとする怒りの声が滔々として湧き起こる、・・・『四人組』の天をも恐れぬ犯罪を糾弾するための人民戦争は、いままさに紅蓮の炎となって燃え盛っている」と、四人組討伐の雄叫びは天をも衝かん勢いをみせる。その勢いのままに、「ヤツラの毒牙を引っこ抜き、ヤツラの狡猾なツラの皮と化けの皮を引っ剥がし、ヤツラを歴史の恥辱の柱に永遠に釘で打ちつけてやるぞ。我われの戦いには機関銃と迫撃砲が、匕首とライフルも必要なのだ」と四人組殲滅への断固たる決意が、滑稽なまでに漲っている。それにしても、悪罵の表現は限りなく豊かだ。

 だが昨日まで北京で毛沢東に次ぐ圧倒的な権力を行使していたはずの四人組が、文革で破滅させられた劉少奇や林彪と同様に、一夜明けたら「偉大なる毛主席と全国人民にとって不倶戴天の敵」になってしまい、挙国一致の罵詈雑言を浴びつつ歴史から抹殺されてしまう。そのカラクリが判らない。じつは、この本を隅から隅まで読んでみても、四人組がナゼ悪いのか。納得できるような合理的説明は全く見当たらない。この本を貫いているのは、「ヤツラは毛主席に叛き、毛主席の教えを無視し徒党を組み、党の実権を奪おうとして、とどのつまりは滅亡した」という同語反復。いいかえるならヤツラは悪いから悪い。ただ、それだけ。だが、《悪いから悪い》という単純極まりないカラクリこそが肝要なのだ。

 やはり中国では北京の陰謀渦巻く奥の院における権力闘争に敗れたら最期。徹底して叩き潰されるだけ。水に落ちた犬に石を投げつけろとは、このことを指すに違いない。政敵の息の根を完膚なきまでに止めておかない限り、いつ息を吹き返して復讐の刃を向けられるか判ったものではない。おそらく恐怖心こそが、残酷極まりない政敵潰しに駆り立て、超弩級の悪口雑言の類を呼ぶのだろう。

 「徒党を組み党を簒奪すれば、自ら滅亡を招く。これこそブルジョワ階級の野心家、陰謀家が必然的に歩まざるをえない運命なのだ。人の心は党の心であり、党員の心は分裂に賛成するものではない。四人組との闘いに戦勝した我われは、華国鋒主席を頭とする党中央の指導の下で団結をさらに固め、さらに堅強さを加え、光り輝く前途に向けて大きな歩幅で闊達に歩もう」と全国民に呼びかけた76年末から4年後には、「四人組打倒の個人的業績を過大評価した」などを理由に、華国鋒は失脚の憂き目に。

 「光り輝く前途に向けて大きな歩幅で闊達に歩」む・・・次の犠牲者は、誰だ。  《QED》