【知道中国 453回】      一〇・九・念三 

     ――彼らに「崇高な理想」は・・・似合わない

 我が尖閣海域への中国の“漁船”の領海侵犯事件を機に、北京は反日強硬姿勢をエスカレートさせるばかり。日中ガス田共同開発交渉延期宣言からはじまり日中外相会談を見送り、万博への日本の若者1000人も延期し、遂には「漁船船長無条件釈放あるのみ」と。あるいは大使召還をも想定に入れておくべきだろう。こちらとしては「チキンゲーム上等だ」と腹を据え、浮き足立つことなく冷静に相手の出方をみておけばいいだけのことだ。

 折もおり、産経新聞(9月19日)の一面に掲載された大阪大学の坂元一哉教授の「崇高な理想を忘れた中国」と題する論説を読んだ。坂元は「東洋史の泰斗、故・宮崎市定博士が中国皇帝独裁政治の模範として紹介」する清朝・雍正帝の治績を引き、最近の中国の一連の振る舞いは「崇高な理想を忘れた」ものだ、と批判する。

 坂元は「20年ほど前、『中央公論』に載った宮崎博士のエッセー(「中国を叱る」)の一部を」を挙げ、「朝4時前に起床して夜は10時、12時まで政務に没頭。清朝に下った天命を自覚し、天下万民のために働いて寧日なかったという」雍正帝の政治姿勢の一端を示す。雲南貴州の総督から越南に占領された国境地帯の金鉱を失地回復したいとの密奏が届くが、雍正帝は「『汝は隣国と友好を保つ道を存ぜぬか。堂々たる天朝は、利益のために小邦と争うことはせぬものぞ』と戒めの書簡を送る。中国は全東亜の平和維持を天から命じられた大国である、との自覚からであった」。さらに「中国は清朝末期に実力を喪失し、崇高な理想を忘却した。今は対外姿勢に唯物的な貪欲さが目立ち、輝かしい過去の名残もない、もっと自国の歴史を読め、との(宮崎の)批判である」と続け、かくて坂元は、「もし宮崎博士が最近の中国の対外姿勢を目にされたらどうだろうか。清朝滅亡からもうすぐ100年だが、清朝盛期の栄光は全く取り戻せていない。何のための経済発展か、と20年前以上に厳しく中国を『叱る』エッセーを書かれるのではないか」と嘆いてみせる。

 なにやらマトモに思える主張のようだが、率直な読後感は・・・だからダメなんだ。

 だいたい「天下万民のために働いて寧日なかった」との宮崎の雍正帝評価が、坂元の批判する現在の「中国政府の強硬姿勢」とどのように結びつくのか。中国史に関する該博な知見をひけらかし、「中国皇帝独裁政治の模範」を挙げて目の前の北京の振る舞いを「叱」ったところで、現実政治にはなんの効用も見出せない。日々続く権力闘争の渦中で過激なまでに「臉皮要厚」で「心要黒」――厚顔奸智な人生を生きている北京の面々からするなら、痛くも痒くもない話だろうに。中国の為政者として胡錦濤主席は雍正帝の末裔であり、であればこそゴ先祖様に当たる「中国皇帝独裁政治の模範」たる雍正帝が実践した「中国は全東亜の平和維持を天から命じられた大国である、との自覚」を為政の指針として拳々服膺すべきだなどという寝言を、まさか坂元はいいたいわけではないだろう。

 中国歴代王朝の某々皇帝は立派だったが現在の為政者はダメだなどという愚にもつかない比較は、現実の国際政治においては、じつは屁の役にも立たない戯言にしかすぎない。わけ知り顔のその種の戯事は、全く以って無意味である。要するに問題の核心は彼らが掲げる「正義」が根拠薄弱で、振り上げた拳の置き所を見失いつつあるということだ。

 そこで彼らに『毛主席語録』の学習を強く勧めておきたい。「中国は大国にはならない。永遠に謙虚でなければならない」。素晴らしい教えだ。まあ、いってることとやってることに大いに違いがありましたが、なにはともあれ毛沢東は偉大だった・・・ですよネッ。  《QED》