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【知道中国 456回】 一〇・九・念八
――嵐の前の静けさか、はたまた長閑な時代だったのか
『動脳筋爺爺①②③④』(少年児童出版社 1964年)
毎年新学期最初の授業で、黒板に大きく「動脳筋」と書いてきた。劣化激しい最近の大学生でも、「動」「脳」「筋」の3文字を初めて見るということはなかろう。そこで意味を問うが、大抵は判らない。だから漢字は同じでも意味は違う。同じ漢字を使っているが日本と中国とでは違うという辺りから話しはじめ、日本と中国とは同じわけがない。全く違うということから出発しない限り、誤解が拡大再生産されるだけだと説く。動は動詞で動かす、脳筋は名詞で脳味噌を意味する。つまり動脳筋とは頭を動かせ、頭を働かせろ、という意味だ。同じ脳を日本では形態から脳味噌と、中国では機能から脳筋と表現――これだけでも日中の違いが判るだろうと念を押し、話題を味噌の製法に転ずる。
具体的な造り方を知らなくても、かつては材料は大豆だ、塩だ、麹だと口にする学生がいることはいたが、ここ4,5年前からは驚くべきことに、味噌の材料すら知らない。そこで蒸かした大豆をミンチにし、塩と麹を混ぜ合わせ、温度や湿度が安定した環境に寝かせておけば発酵して味噌になると概略を説明した後、だが脳は味噌とは違う。一定の環境で寝かせておいただけでは“発酵”しない。筋肉のような構造だから、筋肉を発達させると同じで脳もまた鍛えない限り発達しない。退化するばかりだ。大学とは脳を筋肉質に鍛え上げるところだ――と語るのだが、捗々しい成果があがらないのが昨今の悩みである。
さて、このシリーズは無邪気で好奇心旺盛な少年の「小無知」クンとオシャマな少女の「小問号」チャンが日常生活の中で抱く素朴な疑問に、「動脳筋爺爺(物知り爺さん)」が懇切丁寧に答えようというもの(因みに、「問号」とは疑問符の「?」を指す中国語)。
動脳筋爺爺への質問には、なぜ麦の穂は黒く変色するのか。なぜ草は植えなくても生えてくるのか。なぜ樹木の幹や枝葉は丸いのか。なぜ雲は落ちてこないのか。なぜ月は丸かったり欠けたりするのか。なぜ風は起こるのか。なぜ機関車の力はあんなに強いのか。なぜ飛行機は空を飛べるのか。なぜ船は浮かぶのか。なぜ饅頭を蒸かせば膨らむのか。なぜ魔法瓶の湯は冷めにくいのか。なぜ感電するのか――極く普通の少年少女が日常生活のなかで抱くであろう「なぜ」を動脳筋爺爺が判り易く解説する。おそらく、この本は少年少女の心に自然科学・科学技術への興味を植えつけようと狙ったのだろう。
ここで注目すべきは、動脳筋爺爺のみならず、小無知クンも小問号チャンも、毛沢東の「も」の字も、共産党の「き」の字も話題にしていないこと。いいかえるなら当時の少年少女は、毛沢東の恩恵にも共産党の栄光の歴史にも無知でよかったんだろう。この本が出版された64年は、10月に初の国産原爆実験に成功すると共に58年に毛沢東が強行した大躍進の後遺症を脱し、「国民経済に比較的調和の取れた発展が出現し」(『中華人民共和国実録 第二巻(下)』吉林人民出版社 1994年)、劉少奇の現実路線が定着しつつあった。だが、それが面白くない毛沢東は、2月29日、訪中した金日成に対し、「(このままでは)修正主義に変質してしまう。思想的準備をしなければ」と語る。意味深で不気味な発言だ。
その時から2年半後の66年8月、毛沢東が劉少奇抹殺を目指し文革を発動したことで、動脳筋爺爺も小無知クンも小問号チャンも、動脳筋することなく毛沢東思想の過激な戦士にヘンシーンしていった。あれから40数年。今度は挙国一致の“暴日膺懲”ときた。今度もまた、その無理無体ぶりから判断して動脳筋しているとは思えないのですが・・・。 《QED》
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