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【知道中国 467回】 一〇・十・仲九
――成語の命は短くて、可笑しきことのみ多かりき・・・
『漢語成語小詞典』(《漢語成語小詞典》修訂小組 商務印書館 1973年)
巻頭に掲げられた「説明」によれば、『漢語成語小詞典』(【知道中国 466回】を参照されたい)は59年に出版された後、62年に改訂され、さらに「広範な労働者・農民・兵士大衆の意見に基づいて改訂が加えられ」て出版されたのが、この『漢語成語小詞典(第三次修訂正本)』である。
初版の『漢語成語小詞典』は17人の北京大学中文系学生が20日間ほどで纏め上げたものだが、この73年版は62年版を基礎にして、「納められた項目を若干調整・削除し、新たな項目を加え、注釈と例文は大幅に改訂した」。改訂作業に当たったのは「北京大学、科学出版社、商務印書館の3つの工作単位であり、作業の過程で広範な労働者・農民・兵士大衆と多くの職場・職域から援助をえた」――だそうだ。
以上の「説明」はとかくも、初版が出版された59年は毛沢東がぶち上げた急進的社会主義化路線である大躍進の破綻が明らかになり全土が困窮生活を強いられ始めた頃であり、改訂版出版の62年は劉少奇や鄧小平による調整策が奏功し、国民生活が底を打って回復に向かい小康状態を取り戻しつつあった時期。そして、この73年版の『漢語成語小詞典(第三次修訂正本)』が出版されたのは、文革開始から6年目ということになる。
そこで、同じ『漢語成語小詞典』の59年版と73年版の違いをみると、たとえば59年版にあった「紅透専深」や「興無滅資」は73年版にはみられない。それはそうだろう。紅(政治思想)を深めることは専(専門性)を高めることに繋がり紅も専も深化させ高度化させることで社会主義社会に貢献できるといった意味だが、文革は専を徹底的に批判したわけだから。文革では、専は他との格差を産み、専を高めることは紅の否定を招き、結果としてブルジョワ階級復活に繋がるという屁理屈を振り回したのだ。ならばこそ、「紅透専深」などもってのほかの考えということになる。ところが、である。正式には無産階級文化大革命と呼ばれる文革期にもかかわらず、文革精神そのものともいってよさそうな「興無滅資」が73年版には収録されていないのだから、なんとも不思議極まりない。
一方、59年版にあった「大名鼎鼎」や「作法自斃」は73年版にも納められているが、解説は木で鼻を括ったように素っ気ない。59年版の「大名鼎鼎」には「資本主義国家において大名鼎鼎(=影響力を持つよう)な多くの人物は、実際はすべて残酷にも人民から掠奪し、残忍悪辣な魔王である」、「作法自斃」には「帝国主義国家は経済封鎖を通じて社会主義国家の扼殺を企図して“禁運(=貿易禁止)”政策を採るが、結果的には作法自斃であり、酷い目に遭うのは反対に彼ら自身なのだ」といった例文が示されているが、73年版には例文なし。「大名鼎鼎」は「盛大な様子」、「作法自斃」は「自業自得の喩」とあるだけ。
双方が共に収録している成語でも解説に微妙な違いが認められる。たとえば「大鳴大放」だが、59年版では「大衆が自己の意見や見方を意見や見方をできるかぎり発表することを指す。[例文:大衆は大鳴大放を通して認識を統一させることで、確信は強まり、意気込みはより高まる]」。これに対し73年版では、「革命大衆が自己の意見や見方を十二分に発表し、国家管理という重大事に積極的に参加することを指す。これこそがプロレタリア独裁を強固にするための一種の民主的手段である」と解説するが、例文はない。大鳴大放するのは大衆なのか革命大衆なのか。大鳴大放の結果、個人の意気込みが高まるのか、プロレタリア独裁達成のための民主的手段となるのか・・・いずれにせよ牽強付会の極み。やはり、ことばが政治的ゴ都合主義の下僕に堕すようでは、マトモな社会とはいえません。 《QED》
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