【知道中国 470回】       一〇・十・念五       

      ――共産党の教えのままに成長すると・・・困ったことだ

      『和少年朋友談談理想』(焦平 上海人民出版社 1974年)

 「いままさにすくすくと成長している少年たちに、このささやかな著作を思想教育のための副読本として熱い心を込めて進呈したい」と書き出されているが、もうそれだけで十二分に胡散臭いことが判ってしまう。以後、眉にツバをタップリと付けて読むしかない。

 ――「共産主義の理想を打ち立てることは、プロレタリア階級の革命事業における後継者を育てるために必要なことなのだ。共産主義の理想を打ち立てなければならない。それというのも、批林批孔闘争を断固として貫徹し、旧い伝統観念と徹底して袂を分かたなければならないからだ」

 「孔子の忠実無比の信徒である林彪は徹底して労働者・農民を軽視し、労働を蔑視し、知識青年が農山漁村に赴き、労働者・農民と手を結ぼうという崇高な道を『形を変えた労働改造処分だ』と憎悪を込めて攻撃し」、「大叛徒の劉少奇はノー天気にも『共産主義の理想とは豊かな生活を送り、腹いっぱい食べ、着飾り、楽しく遊ぶことだ』と口にし、『学問は役人として出世の道だ』などと吹きまくっていた」。であればこそ、「共産主義の理想を打ち立てねばならないし、こういった腐った輩たちが撒き散らした毒素とは徹底的に戦い抜かねばならないのだ」――

 今から考えれば、なんとも大仰な物言いとしかいいようはないが、ともかくも年端も行かない少年少女に、「一、我われの理想。それは共産主義」「二、我らはプロレタリア革命事業の後継者」「三、大きくなったらなにを為すべきか」「四、永遠に錆びることのないネジとなろう」「五、共産主義の哲学は闘争の哲学だ」「六、艱難辛苦の光栄ある伝統を継承しよう」「七、学習し、新しい中国の新しい主人公になろう」と、手を変え品を変え、しかもモミ手で「共産主義の理想」を吹き込もうとする。

 その凡てを紹介することができないが残念だが、取り急ぎ面白そうなところを拾うと、

■「革命の理想を打ち立てることは、わが身を捧げることの出発点であり、同時にわが身に代えてでも実現すべき志の最終目的でもある。君たちの誰もが将来、何を為すべきかを考えることはもちろんだが、より大切なことは真剣に考えることだ。なにを。決まってるじゃないか。どのような理想のために奮戦努力の一生を送るか、だよ」

■「大きくなったらどうするのか? いうまでもないことだが、僕たちの答は『凡てを党の指示に従います』」

■「(偉大な革命事業を)完備した機械に喩える考えがあるが、そういった機械は中心となる部分があり、部品があり、数え切れないほどのネジがある。それら凡てが組み合わさり、相互に固く連係し、定められた働きをなしてこそ、機械は完全に機能するもの。チッポケなネジが1本欠けても、機械は動かないものなんだ」

■「そうだ。共産主義のため敢えて雄々しく闘争に赴こう。犠牲を恐れてはいけない。闘争を経てこそ天下をひっくり返せるし、闘争を通してこそ新しい世界を創造できるんだ」

 大人になったら共産党に絶対服従するんだぞ。志願して共産党の独裁維持のためのネジになれ。それが「共産主義の理想」だ――こう教え育てられた世代が党の部品となりネジとなり、現在の強欲資本主義大国を動かす。やはり「三つ子の魂」こそが厄介千万。  《QED》