【知道中国 482回】        一〇・十一・仲八

     ――彼もまた、バーチャル・チャイナの宣伝マンだった

     『中国――生活の質』(W・バーチェット 筑摩書房 1975年)


 時期的には文革と重なるヴェトナム戦争期、“正義のジャーナリスト”として日本のメディアを飾った著者の名前は、忘れようにも忘れられない。ハノイを拠点にインドシナ各地の戦場を駆け巡ったであろう彼の報告は臨場感溢れ、開高健のヴェトナム戦記ものと共に読者を興奮させた。かくて超大国アメリカが送り込んだ超近代兵器を装備した米軍を相手に、原始時代を髣髴とさせる手作りの武器ながら戦闘を有利に展開するインドシナ人民の解放への不屈の闘いという虚像が、一時は我が脳裏に巣食ってしまう。若気の至り。猛省。

 だが後にインドシナの各地で人々の話を聞くに及んで、W・バーチェットなるジャーナリストは見事なまでの詭弁の使い手ではなかろうかと疑問を持つようになった。この本には、ウソをホントと信じ込ませるか彼のカラクリの証拠がギッシリと詰め込まれている。

 この本で、彼は文革後半の中国各地を歩き、林彪失脚以後の人々の生活ぶりを詳細に報告しているが、あの時代に中国各地を歩けるということ自体、北京の権力中枢から求められた人物であり、特殊な任務を帯びていたということ。そうでなければ、当時、広い中国を気の向くままに歩けるわけがない。報告(デタラメ)の一端を読ませてもらおう。

 たとえば上海前石機械製造工場の旋盤工兼据え付け工で、工場の経営管理を担当する革命委員会委員でもある凌紹蘇の月給は78元。妻は62元。家賃は月3.3元で光熱費は2.7元。出勤日には3回の食事は工場の食堂で済ませるが、費用は月12元。1日8時間労働で週6日の出勤。彼と4人の子供の医療費は無料で、60歳で退職した後は、「生涯一ぱい退職時の七〇パーセントをもらうのである。かれの妻は、五〇歳になったとき、御亭主の場合と同じ条件で退職できる。かれの二人の子供は、中学へ無料で上り、三番目の子はやはり無料で小学校へ上っている。かれは腕時計を一つ、それに自転車とラジオをもっており、銀行に一〇〇〇元以上を貯金して、三・五パーセントの利息がそれについている」とか。

 この本に拠れば、かくも快適な生活が維持できるのも、「中国は集団行動の資質を行使して工業を前進させ、すべての分野のすべての人びとを前進の波にのせ、野良にいる人と都市にいる人、政府にいる人と田んぼの水にひざまでつかっている人、学生と労働者、技師、科学者、医者、教育者と、こうした一しょに働く人びと、多数者と少数者の間の分裂をなくし、人びとに共同の大義のための闘いという気持ちをもたせている」からであり、「この共同の大義はじつに明確に定義されているので子供にもよく分かるほど」だそうだ。

 当時の中国では「一しょに働く人びと、多数者と少数者の間の分裂をなく」すようなシステムが完全に機能し、「共同の大義のための闘いという気持ち」を背景に、職業、収入、都市と農村という居住環境などの間の「格差」のない夢のような生活が営まれていた。

 その前提条件として文革以来、「幼稚園以上の年の人はみなさまざまな水準でマルクス主義理論の勉強をするようになった」からであり、その結果、「個人所有の工業というものが、もはや存在しなくなったところでは、特許権などというものは、その意味を喪失してしまうのだ!」と広言するに到る。著者の主張に従うなら、マルクス主義学習の必然的結果として、パクリやニセモノは自由という考えが生まれてくることになる。いちいち反論するのもバカバカしいほどに“革命的にデタラメな内容”としかいいようはない。

 革命、愛国、模倣、贋作・・・凡て無罪。身勝手を、マルクス主義学習が増殖させた。  《QED》