【知道中国 485回】        一〇・十一・念四

     ――「毛主席が指し示された方向」は・・・行き止まり

     『福建人怎様学習普通話』(何耿豊・黄景湖 福建人民出版社 1979年)

 中国は広いだけに方言は複雑多岐だ。たとえば福建省。東部の閩東方言、南部の厦門話を軸とする閩東方言、莆田話が基本となっている莆仙方言、北部の建陽方言の4種の福建方言に加え、客家系の話す客家語も閩西客話、閩北客話などが混在し、これらがさらに枝分かれしている。だから違う方言に出会ったら相手の話が判らない。加えて同一方言内でも意思疎通が困難。そこで多くの福建人が普通語(全国標準中国語)を話せるようにと『福建人怎様学習普通話』を手にしたはず。だが表紙を開いて、さぞやビックリしただろう。それというのも、この本の冒頭に掲げられた「引言」がなんとも奇妙だからだ。

 「引言」は、「目下、全国人民は華主席を首(かしら)とする党中央の指導の下で、毛主席の偉大な旗を高く掲げ、新たなる歴史の長征をはじめた。各戦線での反乱は正され、欣喜雀躍として光栄に向かっている。林彪と“四人組”によって重大な破壊を受けた普通話推進工作は、毛主席が指し示された方向に沿って、再び大きく歩みだしたのである」と書き出されている。

 ここで改めて奥付で確認すると、この本の出版は79年3月。これは政治最優先の毛沢東路線を清算し、鄧小平の強力な指導下に「向銭看(カネ儲け第一)」の路線に大転換した共産党11期3中全会から3ヵ月後に当たる。華主席とは、死が間近に逼っていた毛沢東から託されたといわれる「你弁事 我放心(お前がやれば、わしゃ安心じゃ)」の6文字の漢字を唯一最大の根拠に毛沢東後継に納まった華国鋒のこと。毛沢東の死の1ヵ月後の76年10月に四人組を逮捕し、やがて「英明な指導者」とまで持ち上げられた。だが華は「毛沢東のやったこと、言ったことは凡て正しい」とする所謂「二つの凡て派」のシンボルとして、復権した鄧小平派の強い批判を受け、遂には権力の座から引き摺り下ろされてしまう。当時の華は鄧小平との対比で「暗愚」とまで形容され、時代錯誤の極であり、毛沢東主義守旧派の象徴として改革・開放政策推進派からは嘲笑の的とされるばかりだった。

 つまり、この本が出版された当時は、共産党は形式的にはともかく実質的には「華主席を首(かしら)と」してはいなかった。じつは「全国人民は」、鄧小平を「首(かしら)とする党中央の指導の下で、毛主席の偉大な旗を」引き摺り下ろし、「向銭看」という「新たなる歴史の長征」への第一歩を踏み出したところだったのだ。

 続いて「引言」は「華主席も『毛主席は普通話を話すべきだと声を掛けている。みんな普通話を広めよう』と指摘されているが、これは全国人民による普通話学習に対する切実な要望を反映し、普通話推進が社会主義革命と社会主義建設を加速する重要な意義を概括したものだ」とするが、この部分を読まされる福建の読者からすれば、ナニヲイマサラといった感想だろう。権力を失った指導者を持ち上げる文章を読まされれば、誰だって鼻白む思いに駆られたはずだ。

 徹底した上意下達を鉄則とするピラミッド型組織のはずが、この本にみるかぎり、当時の共産党の命令系統は存外にユルかったことが判る。すでに北京では力を失ったはずが、本の上とはいえ福建では依然として「華主席」として扱われている。なんとも不思議だが、福建人にすれば、北京の最高権力者なんて誰でも同じ、ということなんだろうか。  《QED》