【知道中国 486回】        一〇・十一・念六

      ――鰯の頭も政治宣伝から・・・ですよね

      『看革命文物 学革命伝統』(上海人民出版者 1976年)

 この本は、上海にある中国共産党第一次全国代表大会址記念館が毛沢東が「マルクスとの面会」に旅立った1976年9月に編集・出版した。当時の上海は四人組の牙城だっただけに、出版の背景・意図が浮かびあがってくる。かくて「前言」は高らかに謳いあげるのだ。

 「中国共産党と偉大なる領袖の毛主席の指導の下、中国人民は28年にわたる苦しい戦いの末、ついには帝国主義、封建主義、官僚資本主義の反動統治を打ち倒し、社会主義の新中国を打ち立てた。/この28年、中国人民は毛主席のプロレタリア階級革命路線の指導によって、度重なる険阻を突破し、種々の困難を克服し、とてつもなく巨大で複雑で曲がりくねった道程を経て、遂には新民主主義革命の偉大な勝利を得た。中国人民の革命戦争の歴史とは、まさに驚天動地で稀有壮大な偉大なる歴史の詩である」。「偉大なる歴史の詩」を書き上げた「無数の革命先烈」が「党に忠誠を誓い、人民に忠実に生き、人類にとって最も偉大である共産主義事業のために永遠に奮闘するという崇高な革命精神を誓ったことこそ、我々が永遠に学習すべきことなのだ」

 ――と、なにやら読む方が気恥ずかしさに赤面してしまいそうな「前言」が続くが、とどのつまり「無数の革命先烈」が使っていた時計や鞄やランプなどの身の回りの品物や、宣伝パンフレットなどが写真で示され、「革命の伝統を子々孫々に相伝しよう」というのだ。

 たとえば1935年5月、「長征」の途次、現在の四川省涼山まで逃げ延びてきた共産党主力部隊は存亡の危機に直面する。前方には共産党を敵視する少数民族で剽悍で知られる彝族の居住地区が。後方には、追撃の手を緩めない国民党部隊・・・まさに前門の虎、後門の狼である。その苦境を、共産党は得意の宣伝戦で切り抜けようとした。そこで「紅軍総司令 朱徳」の名で以下の「中国工農紅軍佈告」を出すこととなる。

 「中国工農紅軍は、弱小民族解放す。凡ての彝族と漢族は、共に血分けた兄弟だ。恨むは四川の軍閥で、彝人を骨まで食べ尽くす。苛斂誅求限りなく、そのうえ妄りに人殺す。紅軍万里の長征は、無敵の進軍、破竹の勢い。四川西部に到着し、彝人の生活尊重す。軍規十分厳命で、粟一粒も奪わない。糧食買い付け公正で、代金きちっと払います。我が同胞の彝族の民よ、我らを疑い恐れるな。直ちに共に立ち上がり、軍閥どもを駆逐せん。彝人の政府を打ち立てて、彝族管理は彝族によって。真の平等・自由を持てば、他から恥辱を受けることなし。宣伝工作あい努め、四川西部に広めよう」

 この本には「中国工農紅軍佈告」の写真が掲載され、「各種形式の宣伝工作を通じ、広範な彝族の同胞は、誰が彼らの本当の友人で、誰が敵であるかをはっきりと知った。これ以後、彼らは中国共産党に率いられた工農紅軍こそが我が国各民族人民にとっての自らの隊伍だということを認識するに到った。紅軍への参加を強く求め、紅軍と共に戦線に赴き、敵を追撃する彝族の若者もあった。かくて紅軍は勝利のうちに彝族居住区を順調に通過したことで、我が軍は時間を稼ぐことに成功した。これこそ紅軍長征途上の勝利の凱歌の一曲であり、同時に毛主席と党の民族政策における輝かしい勝利だ」とある。

 漢族至上主義を貫く「毛主席と党の民族政策」が少数民族の惨憺たる現状を招いたことは明らか。かくて昔も今も、宣伝工作こそ共産党にとって唯一最強の兵器となる。  《QED》