【知道中国 487回】       一〇・十一・念八

     ――ウソかマコトか、マコトかウソか・・・稀代の奇書だ

     『被俘的女文工團員』(袁静筠口述・郭國吉録音 北運河出版社 2010年)

 中共47軍作戦処偵察科長だった郭国吉は開放政策の恩恵で小銭を持ち、タイへ団体観光に。偶然に立ち寄ったバンコクの中華街の骨董屋で47軍兵士の旧い認識徽章を手にした。これが「四十七軍女文工團員被俘後受盡凌辱的眞實故事」の副題を持つ本書の発端である。

 林彪率いる第四野戦軍隷下の一部隊を前身とする47軍は、建国翌年の50年に湖南省西部で土地改革を進めると同時に国民党残存部隊の掃討作戦を展開し、2万3千人余りの地主・国民党勢力を殲滅。赫々たる戦果を挙げる。土地改革とは地主から土地を取り上げ農民に分け与えること。土地を分け与えられた農民の毛沢東と共産党への支持は熱狂的に高まるが、土地を奪われる地主からすれば共産党は憎んでも憎みきれない怨敵となる。

 建国から1年が過ぎた50年秋、47軍が湖南省西部山岳地帯を転戦した際、部隊所属の文工団の20代後半の幹部から15歳までの5人の女性隊員が忽然と行方不明になった。文工団とは文芸工作団の略称で、歌や芝居で農民を洗脳し仲間に引き入れ味方を増やし、武器を持って戦わずとも敵を孤立・殲滅させることが主要任務。単に部隊と共に移動する慰労演芸団ではなく、じつは強力な人間兵器。であればこそ、団員の美しい容貌の裡には強固な革命思想と崇高な使命感が満ちていた。それが陳腐なものであったにせよ、である。

 47軍が総力を挙げて捜索しても行方が判らない。じつは5人は、47軍によって土地改革処分を受けた湖南省西部一帯で覇を唱えていた有力地主の郭子儀一族によって捕虜になり、山中の塞に幽閉されてしまう。47軍の秘密を暴き、一族を破滅させられた恨みを晴らそうと血眼になる郭一族とその私兵によって、5人の乙女は徹底した性的虐待・凌辱を受けた。

 共産党政権の権力基盤が確立するに従い、郭一族等は国民党残存部隊と共にビルマ・タイ・ラオスの国境に跨る山岳地帯に逃げ延びる。逃避行の渦中で文工団員は次々と凌辱の果てに惨殺されたが、袁静筠だけは地獄の責め苦を生き抜く。やがて彼女はバンコクの売春宿に売られ、苦海に生きることを余儀なくされた。1980年代初め、そこで19歳の元解放軍女性兵士に出会う。聞けば中越戦争前線で捕虜となり、ヴェトナム、カンボジアを経て遥々バンコクに転売されてきたとのこと。戦争の犠牲になった19歳の元解放軍兵士の行く末に自らが歩まざるを得なかった惨め極まりない人生を重ね、袁静筠は涙を流す。

 80年の元旦。売春宿の亭主が「今夜からオツトメはしなくていいぞ」。だが、彼女に行く当てもない。売春宿で下働きをしながら、老残の日々を送る。そんな彼女が最後まで身につけていたのが、若き日の崇高な使命感の象徴でもあり、自らの名前が刻まれた47軍の認識徽章だった。人生を捨てた彼女が骨董屋に売った徽章が、旅行中の郭國吉の手に。

 郭は徽章を売った人物に会わせてくれと骨董屋に懇願する。現れた老女が郭國吉の知る袁静筠だった。彼女の語る苦難の人生を、彼は細大漏らさず記録して本書を著した。「筆舌尽くし難い」との表現があるが、全395頁に展開される情況は、そんな生易しいものではない。残忍極まりない凌辱ぶりは人間の所業とは思えず、読者の想像を遥かに超絶する。

 本書の記述の真偽を判断する術を今は持たない。だが延々と続く地獄絵図を細大漏らさず記そうとする姿勢の根底には、やはり彼らの民族文化(=生き方)があるように思う。記憶は時の流れに消え去るが、たとえ粉飾されようと文字は残る。やがて彼らは残された文字を根拠に自らに都合のいい“史実”を語りだす。このカラクリに要注意デス。  《QED》