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【知道中国 492回】 一〇・十二・初六
――そして誰も信じなくなったって・・・そりゃそうだ
『社会発展史』(上海人民出版社 1974年)
文革勃発当初は毛沢東の意のままに派手に暴れまくった紅衛兵運動は、68年に入ると「下放運動」へと大きく路線を転換する。毛沢東は「知識青年が農村に赴き、貧農・下層中農の再教育を受けることは断固として必要だ」と煽り立てはじめたわけだが、毛からするなら最大の目標であった劉少奇打倒を果たした以上、もはや紅衛兵の利用価値は失せた。加えて一部ながら紅衛兵過激派のなかに毛沢東の権威への挑戦が見られるようになった。このまま放置しておくと、いずれ紅衛兵が毛の権威に反逆する可能性は皆無ではない。奴らを都市にのさばらせ、勝手に活動させておくわけにはいかない。農山村の僻地におっぽり出して、グーの音もでないほど締め上げてやれ、という狙いだろう。
そこで「毛主席の偉大な呼びかけに応じ、満腔の革命的熱情を胸に祖国の農村や辺境に馳せ参じ」る「知識青年」が滞在先で自学自習するように、「この“青年自学叢書”を特に編集し出版した」。「この叢書はマルクス・レーニ主義、毛沢東思想を指針とし、内容的には哲学、社会科学、自然科学などの一連の知識と魯迅の作品を包括している。この叢書の出版によって、農山村に赴いた知識青年の学習に積極的に作用し、彼らの路線闘争に対する覚悟、政治理論水準、文化科学水準をより一歩高めることを希望する」というのが、叢書出版のタテマエということになろうか。
この叢書の1冊である『社会発展史』は、原始社会から出発した人類は、奴隷社会、封建社会、資本主義社会、社会主義社会を経て最終的には階級、民族、性別などの違いのない全く平等で豊かな共産主義社会に到達するというダボラを、マルクス、レーニン、毛沢東の著作を援用しつつ、400頁を超える分量で語りかける。なにはともあれ、読み進むにつれて、そのナンセンスな記述が連続し、読む速度に反比例して、溜息の回数は増すばかり。だが、とにもかくにも辛吟の末に巻末に辿りつくと、そこに笑いが待っていてくれた。
「鋼鉄は烈火の中で鍛えられ、刀剣は石の上で磨かれ、プロレタリア階級の後継者は疾風怒濤のなかで成長する。我らの前途には艱難辛苦、紆余曲折が待ち構えている。だが『重要なことは、すでに固い氷は破られ、航路は開かれたということ。進むべき進路は明らかだ』(レーニン)。我らは全世界のプロレタリア階級、抑圧された人民、圧迫された民族と手を携え団結し共に立ち上がり、全人類が解放を勝ち取るために闘おう。『ぐずぐずせず、革命の車を共産主義まで一気呵成に引いていこう!』/毛主席は『世界は君たちのものであり、また我々のものだ。
だが、とどのつまりは君たちのものだ。いまこそ君たち青年の旺盛溌剌たる時期であり、その姿は午前8時、9時の太陽だ。ひとえに希望は君たちに懸っている』と、我われに教えている。革命的青年は毛主席の諄々たる教えを固く心に留め、共産主義実現の征途にあって、固く決心し、万難を排し、勝利を勝ち取ろう! 狂風暴雨であろうと、激浪大波であろうと、必ずや戦闘の旗を掲げ、共産主義に向かって突き進むぞ!/共産主義は必ず実現するぞ!/共産主義は必ず実現できるのだ!」
経済成長路線を突っ走り、結果として国の内外で「抑圧された人民」と「圧迫された民族」を生みだしながら見せかけの繁栄を謳歌し大国路線を爆走する現在の共産党こそ、「疾風怒濤のなかで成長」した「プロレタリア階級の後継者」の偽らざる姿なんです。 《QED》
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