【知道中国 493回】        一〇・十二・初八

      ――ステキな話がてんこ盛り・・・毛沢東版“二十四孝”・・・

      『我們是毛主席的紅小兵』(上海人民出版社 1970年)

 「紅小兵学習毛沢東思想補助読物」と麗々しく名づけられたこの本は、巻頭に「告読者」を掲げ、「長い間、叛徒、内なる敵、労働匪賊の劉少奇と文化界の代理人は、出版事業を資本主義復辟のための重要な陣地とし、封建・資本・修正主義の毒素を撒き散らしてきた。少年の読物において、彼らは児童少年が毛沢東思想と労働者・農民・兵士の英雄を学ぶことに反対し、資本主義の世界観を鼓吹し、ブルジョワ階級の“童心論”や“児童本意論”を売り捌いていた。その目的は、少年世代を骨抜きにし、プロレタリア階級との間で後継者を奪い合い、自らのための資本主義復辟に服務させようというのだ」と訴えている

 だが、この本の出版もまた、「その目的は、少年世代を骨抜きにし」、骨の抜けた少年世代に毛沢東思想で鍛造された頑丈な人工骨をいれ込もうというもの。いわばこの本で「児童少年が毛沢東思想と労働者・農民・兵士の英雄を学ぶこと」を徹底しようというわけだ。

 この本は、ソ連と対峙する緊張の国境最前線で、鉄道で、学校で、養豚場で、農場で、工場で、都市で、農村で、災害現場で、「決心を定め、犠牲を恐れず、万難を排し、勝利を勝ち取れ」「人民のための死こそ、所を得た死だ」「一に苦労を厭わず、二に死を恐れず」「凡そ反動分子というものは君たちが戦わなかったら、倒れることはない」「断固として、断々固とし階級闘争を忘れてはならない」などの『毛主席語録』の一節を心にシッカリと刻むだけでなく、周りの仲間や大人に呼びかけ(強要し)、為人民服務の日々を率先励行している少年・少女についての27の物語を収録する。大人顔負け、いやイケスカないガキどもだ。

 「アメリカ帝国主義、ソ連修正主義に狙いを定め、突撃だー!」と吶喊の声を上げるのは、軍訓練幹部兼軍事演習指揮官兼紅小兵部隊長の志紅クン。肩書もスゴイが、名前はもっと凄まじい。なんせ姓が志で、名が紅――毛沢東思想の申し子だ。志紅クンは右手にピストルを掲げ、大きな岩の上に立って、部下に山頂への突撃を命じた。「突撃だーッ、殺せーッ」の叫びは山をも揺るがすほど。紅小兵たちは怒涛のように、我先に山頂に攻め登る。

 「暫しの後、山頂に紅旗が翩翻と翻る。紅小兵たちは自分たちが勝利のうちに任務を完遂したことを喜びあった」。部下を整列させ点呼。志紅クンは部下の1人である志軍クンが欠けているのに気づく。隊長の名前もスゴイが、部下だって負けてはいない。志に軍とは・・・

 おそらく隊長が共産党で、部下が人民解放軍を暗示・象徴しているのだろう。

 副隊長に「キミは戦友を指揮し訓練継続。これからボクは後方点検に向かう」と命令。志紅クンは山を下る。やがて足を折って叢の中にうずくまる志軍を発見。「志軍、前進せずともいい」。すると痛さを堪えながらも、「隊長ドノに報告ッ。継続前進ッ」。泣ケマス。健気デス。部下の手を引き肩を貸し、2人は山頂にたどり着く。赤い夕陽に照らされ、紅小兵たちの凛々しいシルエットが山頂に浮かび上がる。27話の1つである「継続前進」だ。

 24の親孝行物語を集めた中国の『二十四孝』に対し、中国は広いが親孝行者はたったの24人。ところが土地は狭いが本朝(わがほう)は親孝行者に満ち溢れていて、親不孝者を探すのが至難。カネや太鼓で必死になって探しても、20の親不孝話を集めるのが精一杯だとの諧謔に満ちた『本朝二十不孝』を著したのは井原西鶴だが、かりに西鶴が生き返ってこの本を読んだなら、どんな感想を口にするか。あるいは「毛さんにゃ、これっぽっちしか忠実な子供衆はいないのかい。情けない話だ。嗚呼、哀れじゃないかい」と、でも。 《QED》