【知道中国 495回】        一〇・十二・仲二

     ――泰国中華総商会成立百周年・・・新たな統戦工作だ

 清朝崩壊を1年後に控えた1910年、バンコク在住の有力華僑たちは、もはや祖国(清朝)は頼りにならない。自分たちの立場・商権は自分たちで守ろうと中華総商会を組織した。その頃、東南アジア各地には自存自衛・相互扶助を掲げ中華総商会が次々に生まれる。以後、中華民国成立から軍閥抗争、日中戦争、中華人民共和国成立を経て今日まで、内に対しては仲間の利害調整を、現地政府に対しては仲間の権利を守り、祖国の政府に対しては一種の領事館機能を持ちながら、各地の中華総商会は華僑・華人社会における“政府”としての役割を演じてきた。それゆえ、祖国に成立した共産党政権の対外姿勢が、中華総商会の振る舞いに大きな影響を与えることとなったのだ。

 タイの場合、1975年に中国との間で国交は正常化されたが、タイ政府の意向を無視するかのように相変わらずタイ共産党支援を崩さなかったため、中華総商会の活動は制約を受け、じり貧化の道を辿らざるを得なかった。だが毛沢東式過激政治路線を捨て去り、試行錯誤の末に対外開放・経済成長路線が本格軌道に乗りはじめるや、中華総商会は対中ビジネスの窓口としての影響力・存在感を一気に高めることとなる。起死回生のV字回復だ。

 かくて今(2010)年12月2日、「泰国中華総商会百齢会慶慶典」と銘打った成立百周年式典が行われた。会場となった国際会議場を擁する土地をムアントンタニ(黄金の地)と命名し、90年代前半に百万都市を築こうとブチ揚げたのは、ツバメの巣の独占販売で得た巨額の富を基に不動産ビジネスに転じ、90年代前半には世界最大の華人企業家で知られる香港の李嘉誠を凌駕する資産を保持したモンコン・カーンチャナパット(黄子明)だった。

 2日の式典にはアピシット(袁順利)首相が上院議長などタイ政界の要人を引き連れ主賓として参加しているが、1日夜に泰国中華総商会本部ビルで行われた前夜祭を含め、両日の式典への主な参加者を挙げてみると、北京から国務院僑務弁公室の任啓亮副主任に加え香港、シンガポール、マカオ、日本、オーストラリア、マレーシア、フィリピン、インドネシア、カンボジア、ミャンマー、ブルネイの各中華総商会代表が出席。さらに地元からはタニン(謝国民)、サマーン(胡玉麟)、ウィシット(李光隆)、ブーンソン(鄭明如)などタイにおける対中ビジネスの重鎮が顔を揃えた。

 ここで注目すべきは、中国政府部内で華僑・華人対策を一手に取り仕切る国務院僑務弁公室の任副主任の出席だろう。というのも08年1月、僑務弁公室の音頭とりで海外の華人有力企業家による中国僑投資企業協会が設立され、任が常務副会長、タニンが会長に就いているからだ。開放当初とは異なり、中国側も華人企業家の扱いには慣れてきた。これからは中国政府(具体的には僑務弁公室)の差配によって華人企業家を中国経済に組み込ませる――こんな思惑が、同協会設立の背景に強く感じられる。いいかえるなら、今後の中国市場での華人ビジネスは中国僑投資企業協会=僑務弁公室が仕切りますよ、である。

 ここで任と共に同協会常務副会長を務める華人企業家を国別に1名のみ拾ってみると、インドネシア=モフタル・リアディー(李文正)、フィリピン=ルシオ・C・タン(陳永栽)、マレーシア=ティオン・ヒュウキン(張暁卿)、香港=ロビン・チャン(陳有慶)、タイ=チャトリ・ソポンパニット(陳有漢)、中国=許栄茂。なお、ロビンとチャトリは実の兄弟。

 今次式典参加者の顔触れから、今後は中国僑投資企業協会=僑務弁公室が東南アジアの華人企業家に大きな影響力を発揮しますよ、というメッセージとも受け取れるのだ。これを華人企業家と共産党政権との「双嬴(ウイン・ウイン)関係」と呼ぶ、そうデス。 《QED》