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【知道中国 497回】 一〇・十二・仲六
――しょせんは、狐と狸の化かし合いにしか過ぎません・・・ハイ
『勝利属於英雄的越南人民』(人民出版社 1971年)
中国新聞工作者代表団は71年4月末から6月初頭にかけて朝鮮を訪問しているが、それから8ヶ月余り遡った70年9月、ヴェトナム民主共和国新聞工作者協会と対外文化連絡委員会の招待を受け「英雄的なヴェトナムを訪問し」ている。この本は、その時の記録だ。
だが、奇妙なことに「前言」の記す「英雄的ヴェトナム人民が抗米救国戦争において勝ち取った偉大な勝利は、全世界人民の反帝革命闘争における光輝に満ちた手本となった。この本の出版によって、我らが兄弟であるヴェトナム人民に対する尽きることなきプロレタリア階級の思いを抱き、ヴェトナム人民が米帝国主義を完膚なきまでに打ち破り、祖国の統一を実現し、抗米救国戦争における完全なる勝利を勝ち取ることを衷心より熱く願う!」といった部分のヴェトナム人民を朝鮮人民に置き換えると、前回(496回)で紹介した朝鮮訪問記録の『英雄的朝鮮人民』(人民出版社 1971年)の「前言」と酷似してしまう。
つまり「前言」に象徴的に見られるように、『英雄的朝鮮人民』に散りばめられた「朝鮮人民の偉大なる領袖である金日成」を「中国人民の親密なる友人のホー・チミン主席」に置き換えれば、体裁・内容共に、この本は『英雄的朝鮮人民』となりうるのである。
たとえば「アメリカ帝国主義を民族の仇として恨む」人民は、共に手を携え立ち上がった。「人民戦争こそが勝利を決定し」、我われの「一切はアメリカの強盗に勝利するためにある」。我われ両民族は「中国とヴェトナムの限りなく深く厚い友誼」によって結ばれ、共に「断固たる抗米の誓いを高らかに宣言する」。圧倒的な米帝国主義の航空兵力によって奪われていたヴェトナム上空の制空権だったが、人民戦争によって打ち破った――などという勇ましい報告だが、ここのヴェトナムを朝鮮に置き代えれば、この本は『英雄的朝鮮人民』に早変わり。なんともアンチョコな本作りとしかいいようはない。
この本と『英雄的朝鮮人民』の2冊は内容的には大同小異としかいいようはないが、敢えて探してみると小異がないわけではない。じつは『英雄的朝鮮人民』では金日成の輝ける姿が熱く語られているが、この本ではホー・チミンに対する言及が極めて限られているだけではなく冷めているのだ。また『英雄的朝鮮人民』が「鮮血で固められた中朝人民の戦闘的友誼」の常套句で彩られているのに対し、この本が語る中越人民の友誼は「鮮血で固められ」るほどに強烈でもないいし、熱く語られてもいない。
朝鮮とヴェトナムは、東と南の端と違っているものの大陸の端にへばりついているという地政学的位置や、強大な漢民族政権に隷属しながら小中華意識を内に秘めて大中華に反発し自らの立場を持ち続けてきた点は似通っている。にもかかわらず、なぜ小異が生じてしまうのか。その背景に、ホー・チミン(1890年から1969年)のいないハノイと金日成が絶対的権力を揮っている平壌に対する、中国共産党政権の温度差があるように思える。
ハノイは文革に言及することを意図的に避け、北京はハノイのソ連接近に一貫して強い不快感を表明する一方で、ヴェトナム戦争が長期化し強大な米軍が戦場に沈んでゆくことを狙った。ヴェトナムを犠牲にしてでも自らは生き延びようという身勝手な振る舞いを見せた北京を、後にハノイは「拡張主義」「大国覇権主義」と批判する――このような超え難い現実政治の溝も、ヴェトナム人は中国人を嫌悪し中国人はヴェトナム人を軽蔑するという歴史的・民族的因縁も押し隠し、両国人民の「深く厚い友誼」は演出され続けた。 《QED》
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