【知道中国 503回】        一〇・十二・念八 

      ――ソ連が兄で中国が弟。兄弟の母はコミュンテルンだった

       『沙和泥』(李家治 少年児童出版社 1955年)

 「砂と土は、地上で最も多く、最も簡単に手に入れることのできるものです。だが、キミたちは、その用途が大きくないなどと思わないで下さい。いいですか。それがなければ、ボクたちは1日だっていられません。わが祖国の建設事業において、とっても重要な役割を果たしているんです。将来、もっともっと科学が発達したら、砂と土の用途はますます拡大するんです。チッポケですが、この本は、キミたちに砂と土についての様々な知識を伝えようとするものです」――「少年児童知識叢書」と銘打った、この本の書き出しだ。

 数万年、あるいは数10万年もかかって岩石は砂や泥に、砂や泥は岩石に変化する。砂と泥は兄弟の関係であり、粒子の大きい砂が兄で、細かいのが弟の土。だから兄弟の母親は大きな岩石ということになるわけだ。「時に兄さんの砂の粒子はどんどん小さくなって、弟の土と同じくらいに小さくなることもあります。そこで、ボクたちには兄弟を見分ける方法がないようですが、そんなことはありません。やはり兄弟ですから、確かに似た性質を持っています。だが、それぞれに違った性質を多く持ってもいるのです」と、砂と土の性質を説明した後、「土を使って陶器を作ったのは中国人の偉大な発明です。我われ中国人は、すでに4、5千年の昔に美しい彩陶器を作り出したのです。ガラスはエジプトでも数千年の歴史を持っています」と、砂と土の性質を利用して人類が最初に発明した陶器とガラスについて具体的に語りだす。

 おそらく現在なら、ガラスも陶器と同じように“偉大な中華民族”の発明品だと、声高に言い張るだろうが、流石に当時は些かなりとも遠慮、知性、理性が働いていた。いやいや羞恥心も、欠片ほどには持ち合わせていたというべきだろう。

 陶器とガラスの後、砂と土を材料とする工業用品――「陶器と同じ家族」のレンガ、「人工の石」であるセメント、土で作り上げた綿花の石綿、耐火材料、機械部品製造には不可欠の砂型などを解り易く解説している。

 改めて表紙のイラストを見ると、稼働中の建設用クレーンが数基と、いままさに建設中の近代都市が描かれている。その街のビルは、どれもが旧ソ連式の無骨なスタイルで、当時の中国が建設技術の多くをソ連に頼っていた、あるいはソ連をモデルとした都市建設がブームだったことを物語っている。

 最初から最後まで、中国への言及は極めて抑制の効いたものだが、その反面、ソ連に対する“配慮”がありあり。石綿を発明したのはソ連であり、「セメントが発明される以前では、上海の中ソ友好ビルや国際飯店のような背の高いビルの建設は、はっきりいって不可能だったんです」。板で型を組み、工場でいろいろな形のセメント版を造り、出来上がった製品を現場に運んで組み立てれば、たちどころに1棟、2棟と建物が完成する。この「ソ連の先進的経験」を学び、我が国でも続々と新しい工場を建設している。「すでにソ連の科学者は様々な色彩のセメントを発明しました。このカラー・セメントで作られた住宅は、まるで空中に輝く虹のようであり、それはそれは、綺麗なものです」

 ソ連への卑屈なまでのゴマすりを、子供にまで覚えさせよう――スターリンの死(1953年)とソ連でのスターリン批判(56年)の間の、中ソ蜜月時代の珍風景でした。  《QED》